心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

大切な想い

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以前、私がヒロさんの地雷を踏んでしまった時のことです。

 

数時間ほど二人でモメた後、ヒロさんは「ザッチとはもう一緒にやっていけない」と言い、自分のパソコンやスマホから私に関する情報のほとんどを消してしまいました。

 

電話番号、LINEのトーク、二人で撮った思い出の写真などなど…

 

私は、一瞬でそれらが消えてしまったことに、正直驚きを隠せませんでした。

(写真はさすがに、消す前にヒロさんから「消していいよね?」との確認がありましたが、困惑している私は「うん」としか言えませんでした)

そして、じわじわと悲しい気持ちになり、虚しさと儚さに涙が溢れました。

 

私は最初、自分がとても大切にしていたヒロさんとの関係が、ヒロさんにとってはそこまで大切ではなかったんだろうか…と考えてしまい、悲しみに暮れていました。

 

しかし、これは後で知ったのですが、実際のヒロさんは、私のことを大切に思ってくれているが故に、情報を消したのでした。

 

 

私は普段、OCDの情報漏洩恐怖のせいで、自分の個人情報をとてもシビアに管理しています。

 

そのせいで、今でもヒロさんは、自由にパソコンを使えなかったり、スマホに新しいアプリをインストールすることもままならない状態で、ずっと耐えてくれています。

 

当時もそんな状態の中、『私とは別れるべき』と判断したヒロさんは、論理的に考えた結果、" 自分の端末から私に関する情報の一切を消す " という行動に出たのです。

 

もちろん、ヒロさんは曖昧なことや不誠実なことをよしとしない性格なので、終わってしまった関係(特に男女関係)をスッキリさせたいという気持ちもあったようです。

 

しかし私は、ヒロさんの行動に込められた誠実さや優しさを(後にですが)痛感しました。

意図的ではないとはいえ、地雷を踏んでしまった己の愚かさを恥じ、後悔したのでした。

 

ヒロさんは後に、写真を消してしまったことについて、「取り返しがつかない事をした、申し訳ない」と言ってくれましたが、私はその事についてあまり気にしていません。

「もう消さないから許してね、こんな自分を嫌いにならないでね」とも言われましたが、そんなことで嫌いになんかなりません。

 

私は、人との距離を縮める過程で、『〇〇があったから△△の事は嫌いになった』『◇◇してくれなくなったから幻滅した』などという事は、あまり無いように感じています。

逆に、『□□を一緒に経験したから△△の事がもっと好きになった』という事が多いです。

つまり、減点方式ではなく、その人と一緒に居るなかで、ひたすら加点されていく感じです。

この類の話は、カップルにおける『好き(減点方式)』と『愛(加点方式)』の違いとして取り上げられる事がありますが、それにならうと、私はどんな人間関係においても『愛』を重要視しているように思います。

 

もちろん、まっさらな状態から仲良くなる初期過程においては、優しさのやり取りはある程度必要なのかもしれません。

しかし、一旦仲良くなりたいと思った人に関しては、それ以降何が起こっても、そこから負に傾いて嫌いになる事は無いし、ずっと大切にしたいなと思っています。

 

ヒロさんの件に関しても、実際ヒロさんが私に対して、その時に誠実で優しかったか否かという事は、あまり関係ないように思います。そこにはもはや、見返りの応酬などは求めていないように感じます。

 

私はひたすら加点(良い思い出)を積み重ねて、自分の中に軸を一本強く持つことで、人間関係という曖昧で不確定な要素に、私なりの安定を見出そうとしているのかもしれません。

 

 

残念ながら、実際の世の中は良い人ばかりではなく、中には人の優しさにつけこんだり、他人のものを奪おうとする人がいます。そういう人ほど、甘い言葉を囁いて近寄ってくる時があります。

身近な人に手のひらを返された時、減点方式ではショックが大きく、理想と現実とのギャップに打ちひしがれるかもしれません。かといって、加点方式だとそれを防げるかというと、そうでもないように感じます。実際より過剰な加点をしてしまうと、やはりギャップが生じます。

 

そこで私が大切にしているのは『相手との距離感を見誤らないこと』です。

人間関係が希薄な相手に少し親切にされると、グッと距離が縮まるように感じるし、身近な親友に少し邪険にされると、もう私のこと嫌いなのかな…と感じるかもしれません。

実際はただの『少しの親切』や『少しの邪険』なのですが、相手との関係性において、その絶対値に補正がかかり、より影響力を増す場合があります。

私はこの『距離感による補正』を意識し、できるだけ誤解が無いようにしたいなと思っています。

 

こう言うと、私の事を、どんな相手に対しても『絶対的な価値』で評価する冷徹な奴だ…と感じる人もいるかもしれません。しかし私は、多量の親切を私に提供してくれた人だけが正義だ、といったようなことは考えていません。

何が言いたいのかというと、私もある程度は『補正』をする、ということです。

 

では、どのような『補正』をかけるかというと、簡単に言うと以下のような感じです。

 

ー  相手の性格や特性など背景となる情報を通じて『相手にとっての価値』を想像し、自らが感じた価値と擦り合わせる  ー

 

例えば、ヒロさんが私をカラオケに誘ってくれた時の話です。

ヒロさんは感覚過敏のせいで、カラオケの大きな音や、チカチカした画面が苦手のはずです。さらに歌を歌うのも得意ではなくて、カラオケは基本的に好きではなさそうです。

そんな中、私がカラオケ行きたいなぁ…とボソッと言った言葉に対して、ヒロさんは笑顔で「カラオケ行く〜?」と聞いてくれます。

私はこの言葉は、すごくありがたいなと感じます。他のカラオケ好きな友人からの言葉であれば、他愛の無い日常会話の一言ですが、これがヒロさんの言葉だと、一気に意味合いが変わってきます。

 

このような補正がかかるのも、ヒロさんと一緒に、大事なことから他愛のないことまで、ひたすら話して、お互いの思いや考えを確認し合っているからなのでしょう。

 

完璧に相手のことを理解するのは難しいですが、なるべく誤差なく、実際の相手の気持ちを想像したいなと思います。そして、相手の思いを無下にしないように、心配りができたら良いなと思います。

 

そのためには、時間をかけて、ゆっくりと相手との関係性を築き上げていくことが大切なのかなと感じます。そして、色々な価値観があることを想定して、ただ目の前に居る人のことを真摯に知ろうとする姿勢が重要なのかもしれません。

 

私もまだまだ至らない点が多いのですが、こういった内容に気を配っていけたら良いなと考えています。

 

 

私の周りの人には、ただただ、幸せになって欲しいなと願うばかりなのです。

 

 

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ヒロは記憶力がかなり低いと思っています。その為、写真等は苦手です。

 

記憶に無い自分の姿を見ると、怖くなります。

覚えていないと怒られたり嫌われたりする事もあるからです。

 

しかし、ザッチはそんな事で怒ったり嫌ったりする事はありませんでした。

それなのに、ヒロは写真をそれほど大事な物と思っておらず、ごく自然に消してしまいました。

 

今までは、そんな事をすれば当然、人間関係は終わっていました。

しかしザッチはそんなヒロの行動を気にもしていませんでした。

それはとてもありがたい事です。

 

ザッチは人の本質をしっかり見ているような気がします。

(加点方式なので良い部分がデフォルメされているように思えますが…)

だからこそ、その人の一時的な行動よりも全体を俯瞰で見る事ができるのだと思います。

 

ヒロもザッチを見習い、人の本質を見る事ができるようになりたいと思います。

 

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