マイノリティは短所ではなく長所 その2
前回の内容を受けての記事です。
思い返すと、私は昔から周囲の人達に「(ザッチは)変わってるね」と言われることが多かったように感じます。
その人達が私のどの部分を指して「変わってるね」と言うのか、あまり詳しく聞いたことはありませんが、私はその言葉に対してネガティブな印象を持つことはあまり無く、むしろ「へへへ、光栄です」と返していました。
「他の人とは違う」
「予想外の行動をする」
「普通じゃない」
中には、否定的な言葉として「変わってるね」と言われたこともあったかもしれません。
それでも私は「どうも、おかげさまで」と言い、そこまで凹むことも無く過ごしていました。
変わっている方が自分らしくて良いやん、という考えでした。
「案外、ザッチもフツーなんだね」と言われたこともあります。
私はこの類の言葉には結構敏感で、嬉しい時もあるし、モヤっとする時もあります。
色んな条件により変わってくるのですが、この「フツー」という言葉に対して、私はあまり良い印象を持てないことが多いです。
特に、その言葉の中に、「代替が利く」「オリジナリティが無い」という意味を感じた場合、自己肯定感が下がる感覚があります。
この私の思考回路は、小さな頃から良く褒めてくれた母の努力あってのものだと思います。
長いものに巻かれるのがあまり好きでは無かった母は、私の個性をできる限り尊重してくれました。
そして幸いなことに、私の特性は、早い段階で私の好きな事や得意な事に結び付き、自己肯定感の礎となりました。
私も昔から生きづらさを感じてはいましたが、自分の特性にはプラスの面があると信じていたので、悲観したり悔しい思いをすることはありませんでした。
人間関係のトラブルは、「自分の行動や認識の誤りで(今回は)失敗してしまった」とか「相手との相性が悪かった」と思い、そこに自分の特性を絡めて考えたことはあまり無かったように思います。(今振り返ると、もう少し深く考えた方が良かったのかもと思うこともありますが…)
ヒロさんの考え方や過去の経験と比較すると、私はとても幸せ者だったんだなと思います。
私は周囲の人達に恵まれたから、この思考が身についているのだと思うのです。
もし自分の個性が抑圧され続けていたら、私は自分の特性を疎ましく思い、フツーに憧れていたかもしれません。
ヒロさんの小説は、とても味があって私は大好きです。
テーマやキャラクターの性格など、ヒロさんの特性が存分に発揮されたものほど、私は目を輝かせて読んでいる気がします。
つらい経験や苦しみをプラスに変換するのは、簡単ではないかもしれません。
十分な時間や安心できる環境、温かい支えや、深い思考などなど…多くのエネルギーが必要だと思います。
今しんどさの只中にいる方も、今の経験がいつの日かワクワクする気持ちや優しさに繋がって、それが大きな力となって戻ってくるように、私も願っています。