心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

未知の領域を否定する事


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幽霊や宇宙人を否定する人がいます。

それと同じで、自分の理解できない事を否定する人がいます。

身近な人が発達障害や精神疾患だと知って、それを否定する人がいます。

甘えだ、と言う人もいます。

 

これはヒロの持論ですが、未知の領域に対して否定するという事は、生物的に不自然さを感じます。

 

本来、生物は未知の事象に対して2種類のどちらかの行動をとる事が自然だと思っています。


1.逃げる、遠ざかる
2.知る、近づく

 

1の感情は恐怖心、2の感情は好奇心です。

生物は未知の現象に対して種の保存の為、大多数が恐怖心により逃げるという行動をとり、一時的な対応を行います。
その中で少数の生物が好奇心を持って近づきます。それが命に直結するほど危険な現象であれば死んでしまうでしょう。
しかし、死なずに生き延びた時、有益な情報を持ち帰り、その種は恒久対策をとる事ができるのです。

 

 

次に、ヒロが生物的に不自然と感じる『否定』という行動について考えてみます。

 

3.否定する、その場に留まる

 

これは、有益な情報も得られず、種の保存もできず、生物として欠陥があるように思えます。この行動はとても危険な事なのですが、危険の無い平和な状態が続くと、自分に都合の悪い情報を否定するという行動が多くなるのです。

オオカミ少年の話が良い例です。

これは未知の領域とは異なりますが、危険という警告が嘘(つまり平和)だと、それを否定するようになってしまうのです。

 

この平和な世の中だからこそ、好奇心を大切にするべきだと考えています。

1.逃げる、遠ざかる

は一見有効ですが、命の危険が無い場合、無意味な行動になってしまいます。

3.否定する、その場に留まる

これも、必要な情報を得られず、何の解決にもなりません。

 

今の世の中は便利になり、危険を冒さずとも情報を得る事ができます。

多くの読者の皆様が未知の領域に触れた時、” 知る ” という行動をとってくれる事を願っています。

 

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私は好奇心旺盛な方で、よく「怖いもの見たさ」が勝ってしまって痛い目を見る時があります。行動としては上記の1〜3のパターン全てを取りますが、『2.知る、近づく』の割合が周りの人と比べて多い気がしています。

 

上記のヒロさんが書いた内容について少し補足します。

問題の『3.否定する、その場に留まる』というのは、ヒロさん曰く、『都合の悪い情報を ” 無かったこと” にして、自分自身の行動を変えないこと』を意味しているそうです。『自分にとって都合の悪い情報や対象を排除しよう』という行為は、” 距離を取る ” という点で、広義の『1.逃げる、遠ざかる』に分類されるようです。

 

さて、ここからは上記のヒロ論に対する私の感想と個人的な意見を書いてみようと思います。

 

まず、未知の事象に対して『1.逃げる、遠ざかる』もしくは『2.知る、近づく』の行動を取ることが生物として自然だという意見については、概ね異論はありません。

1のように恐怖心が原動力の場合、自分が弱者であれば相手から逃げるのが得策ですし、自分が強者の場合は相手をやっつけたり支配して制御下に置くか、自分のテリトリーから排除したりするでしょう。

2のように好奇心が原動力の場合、未知の事象に接したり、情報を得られることに喜びをおぼえるのでしょう。若い個体はよく無邪気に色んなものに絡んでいきますが、それは経験からくる恐怖心がまだ備わっていないからで、純粋な好奇心と本能的な恐怖心とのバランスを取って行動している結果なのだと私は考えています。

 

次にヒロさんが生物的に不自然と感じている『3.否定する、その場に留まる(無かったことにする)』についてですが、確かにそのような状況はあり得ると思います。しかし、もし『未知の現象』を『新規のもの』と定義し、1や2と同様に、現象に対して純粋に起こる ” 初期的な ” 反応を論じているのであれば、3のパターンには多くの場合ならないのでは、と私は考えています。

 

ヒロさんが上でも挙げた「オオカミ少年」を例に考えてみます。

最初に少年が「狼が来た!」と嘘をついた時、村の大人たちは無視をするのではなく少年の言う事を素直に信じて、オオカミ退治に出かけました。そしてそれが徒労に終わりました。

恐らく少年の嘘が繰り返される事で、村の大人たちの頭の中で、少年が「嘘つき」という存在にカテゴライズされたのだと思います。「嘘つき」は信用に値しない存在なので、よほどの心配症の人でない限り、その言葉によって自らの行動を変化させることはありません。

 

つまり、人が『3.否定する、その場に留まる(無かったことにする)』のような行動をとる時は、あらかじめその現象に関する予備知識がその人の頭の中にあって、何らかのカテゴリーに既に分類されている、という場合が多いのではないでしょうか。分類されたカテゴリーの性質的に「無かったことにする」方が、その人にとって都合が良いのかもしれません。

 

一方、私が3のパターンの少数例として考えているのは次のような場合です。『未知の現象』が『新規のもの』であってもそうでなくても、その刺激が余りにも強過ぎる時、その人のキャパシティでは受け止めきれず、現実の問題として認識できない可能性があります。すなわちフリーズしてしまった場合です。ある意味で現実逃避とも言えるかもしれません。

 

原因がいずれにしても、私も『3.否定する、その場に留まる(無かったことにする)』という対応は、あまり理想的ではないと思います。

「オオカミ少年」の例のようなパターンを防ぐためには、私たちは安易なカテゴリ分類をしないように気をつけなければいけないでしょうし、物事の本質を見抜く目を養わなければならないと思います。周囲の反応に流されることなく、自分で情報をきちんと取捨選択し、時には自ら『未知の現象』に突入して正しい知識を得る努力をする事が大切なのだと私は考えます。

フリーズしてしまう例でも、自分のキャパシティや懐を大きく深くし、どっしりと構えていられるようになれば、改善が期待できるのではないでしょうか。積極的に色んな経験をしたり、他者への思いやりを忘れず行動したり、世の中の現象の様々なパターンを想像してみるようにすれば、少しずつ達成できる気がします。

 

ヒロさんも最後に綴っているように、私も「知る」ということを疎かにせず、日々を過ごしていきたいなと思います。

 

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