スープのそぼろを『救う』
今日は新しいことわざを作ったので紹介します。
それは記事タイトルの『スープのそぼろを救う』です。
スープのそぼろってなかなか掬いきれないですよね。
そこから『救っても救っても救いきる事が大変な様』を表現してみました。
しかし、そんなに悪い意味じゃありません。
そぼろって美味しいですよね。
例え『救う』事が困難だったとしても、頑張って全て『救いたい』と想う気持ちが表れています。
そして、全部『救う』為には器のスープも、その人の想いや事情も全てを飲み込んで『救う』事になります。
<用例>
『ザッチのOCDに寄り添う事は、スープのそぼろを救うようなものだ。』
※ 漢字はあえてです。
皆さんも大切な方に使ってみたいと想いませんか?
私はいつも担々麺を食べる時、執拗にそぼろを掬い、かつスープまで飲み干すタイプです。
スープが思ったよりも辛くて、飲み干すのがツラい時でも、底にあるそぼろの為に頑張る時が多いです。塩分?高血圧?いや、そぼろの方が大切です。
人の良い面も悪い面も全て受け入れて、その人を救うということは、なかなか容易では無いと思います。ただ、大切な人が相手なら、実際できるか否かは別として、まず自分は味方になってあげたいな、とか、全てを受け入れてあげたいな、と思うことがあるかもしれません。
その心意気と情熱と執念のようなものを表現する時、このことわざは有用なんじゃないかなと思います。
『ヒロさんのASDに寄り添うことは、スープのそぼろを救うようなものだ。』
少しでも、飲み干すスープがマイルドで健康的なものになるように祈っています。