勉強する意味(ヒロの考え)
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(注意)この記事での『勉強』の定義について
ヒロは『勉強』と『学問』を別物として考えています。
自分から好き好んで学ぶ事は、『学問』と呼んでいます。
ここでの『勉強』とは、あくまでも他人から勉める事を強いられる物を指しています。
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皆さんは、『勉強する意味』について考えた事はあるでしょうか?
将来役に立ちそうもない事を覚える行為に、疑問を持った事はあるでしょうか?
ヒロは人一倍こだわりが強い為、毎日毎日納得できるまでずっとずっと考えていました。
親に聞いても、先生に聞いても、友達に聞いても、誰も応えてくれません。
怒られる、呆れられる、笑われる、人それぞれ反応は違いましたが、誰一人としてその答えを持っている人はいませんでした。
ある人は『将来の為』という漠然とした理由を言いました。
なぜ将来の為になるのかは決して言いません。
良い高校、良い大学に行けば将来の為になるんだそうです。
そこに理由はないそうです。(ヒロが聞いた人はそう言いました)
ある人は『義務だから』と言いました。
やらなければいけないから、やらなければいけないそうです。
何を言っているのか分かりませんでしたが、とても不思議な人でした。
ある人は『やっていれば褒められるから』と言いました。
自分主体ではなく、他人の評価が上がるからという理由でした。
ヒロは他人の評価で自分を見るという事ができない為、その人の考え方には賛同できませんでしたが、その人なりに理由を考えた結果の答えを言ってくれたと思いました。
つまり、ヒロにはどれも納得がいかなかったのです。
そうなれば次は自分で考えるしかありません。
そして、ようやくその答えに辿り着きました。
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(注意)
これはヒロが辿り着いた答えです。
正解ではありません。
特に学生の皆さんはこの答えに惑わされず、
自分で答えを見つけてください。
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ヒロが辿り着いた答えは以下のようなものでした。
勉強そのものは何でも良く、練習用の『人生の壁』なのだと思いました。
だからそれがスポーツだったり他の事でも何の問題もないのです。
そして、その壁にぶち当たる事が大切なのだと思います。
つまり、難なく100点を取ってしまう人は不幸なのです。
壁にぶち当たれないのですから。
大学生や社会人になった後に突然、本当の壁にぶち当たってしまった時、その人はとても苦労するでしょう。
だから先生は、難なく100点を取ってしまう人には、更に高い壁を用意するのだと思います。
社会人になると、毎日壁だらけです。それは練習用の壁ではなく本当の壁です。
もしかしたら、ヒロが社会に適応できていないから壁が多いと感じているのかもしれませんが、当然障害のない人でも壁はたくさんあるはずです。
こうしてぶち当たった壁を乗り越える事が大事なのです。
練習用の壁は乗り越えられなくても問題ありません。
ただ叱られたり、笑われるくらいで済みます。
ヒロはテストで満点を取れた事はほとんどありません。
それは良い事だと思いました。
間違えたところがヒロにとっての壁なのです。
この壁を乗り越える過程こそが大事だと思ったからです。
自分で調べる事も良いでしょう。
友達に聞く事も良いでしょう。
先生に聞く事も良いでしょう。
それぞれに良し悪しがありました。
自分で調べる事は限界があり、なかなか思うようにいきません。
友達に聞く事は先生に聞くより気楽に聞けますが、必ず分かるとは限りません。
先生は忙しいので、なかなか答えてくれないかもしれません。
だから良いのです。
人に聞いて意図通りに答えが返ってくるとは限らない、という事を知る事が大事なんだと思います。
すると質問を工夫するようになります。
自分で調べると色々と疑問が湧いてきます。
これを ” YES ” か ” NO ” だけで答えられるように質問文を作ります。
そして先生にこの質問をぶつけます。
返ってきた答えから、また自分で調べます。
この方法は今のヒロの仕事でも役に立っています。
上司は先生以上に忙しいですから、なかなか時間をとれません。
しかし、仕事はどんな方法を使ってでも最終的に100点を取る事を求められます。
つまり、書籍を使ってもインターネットを使っても誰かに聞いても良い代わりに、間違いが無い事を求められるのです。
だからこそ、学校のテストで100点は要らないと思いました。
テストは自分の壁を認識する為の物であり、それを超える(テスト後で良いので理解する)事がヒロにとっての勉強をする意味となりました。
更に、全てではなくピンポイントでどれか1つで良いと思ってしまったのです。
※ ヒロには壁が多すぎて全てはやりきれなかったので・・・(笑
今思えば、テストをする前に自分の理解できていないところを把握できていれば、少しは成績は上がっていたのに、と思いました。
何事も無理矢理に強いられると、やる気が失せて、続けることが辛くなってしまう気がします。
続ける意味自体に疑問を持ってしまうと、なおさらです。
本来ヒロさんは好奇心旺盛で、私と一緒にお互いの知識を教え合いっこしている時なんかは、興味津々で私の話を聞いてくれます。(ヒロさんは私にプログラミングを、私はヒロさんに基礎英文法を教えています。)
ヒロさんは熟考することについても苦ではないタイプです。
それにもかかわらず、学生時代のヒロさんは勉強に対してネガティブな印象を持ち、学校で暇を持て余して時間を潰していたと聞きました。そのことは、私としては少し残念に思います。
幼少期の勉学にまつわる環境がもう少し整っていれば、もっと学生時代を楽しめたのではないかなと思います。
ヒロさんの言うように、学生時代にある種の『壁』にぶつかることは、私も大切だと思います。
実際、社会に出てから色々あった私が無事に生きながらえたのも、学生時代の恩師の厳しい指導の賜物だと感じています。(当時は相当な壁っぷりでした)
その『壁』は、時に理不尽なものとして我々の前に立ちはだかりますが、自分がその圧でぺしゃんこに潰れてしまわない限りは、ありがたい試練だと思って、自分のできる範囲で、対処していけたら良いのかなと思います。正面突破もよし、ハシゴを使うのもよし、壁を少しずつ削って低くするのもよし、仲間と協力するのもよし、一旦引いて再チャレンジするのもよし、まわり道するのもよし…いろんな対処方法があります。
知恵を絞り出すきかっけを作ってくれる存在が『壁』なのだとしたら、やはりそれは学生時代だけではなく、人生の各ステージごとに経験しておきたいなと私は思います。知恵を絞る過程で、多くの人や知識に出会い、その有難さを実感する…その繰り返しで充実した時を過ごせるように思います。
正直に言うと、ヒロさんは私にとって、ある意味で『壁』です。
同じく、私はヒロさんにとっての『壁』だと思います。
我々はお互いのことを理解しようと、たくさん観察して、たくさん議論して、たくさん考察しています。お互いの特性上、それらは半強制的に我々の生活に関わってきているので、ある意味ヒロさんの言う『勉強』に近いかもしれません。しかし、その努力の先にある結果に『期待』を抱いているので、成り立つのだと思います。
私は学生時代、勉強したことで得られるであろう結果に期待をしていました。
(この時点で、ヒロさんの言う『勉強』ではなく『学問』になっていたのかも)
幅広い知識を得れば、より多くの人と深い話ができると考えました。多くの人と楽しく会話し、それで知恵がついたら、日常も楽しく過ごせると思いました。それらの繰り返しが、飽きることない新鮮な情報を、好奇心旺盛な私に提供してくれるものだと信じていました。
そしてそれは今も変わらない考えで、まるで永久機関のようにパワーの源として私の中に存在しています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これが私の生き甲斐であり、ポジティブ思考の要因でもあります。この思考に至った経緯はまた後日、別記事として綴りたいと思います。
『壁』にぶち当たり中の方にとっては、それをポジティブに捉えることは、なかなか難しいかもしれません。私も『壁』に何度も弾かれ、泣かされ、愚痴を撒き散らしました。今も、不快なことや納得できないことがあると、すぐブーたれます。
おそらく、その時はそれで良いのかもしれません。負のエネルギーを出し切って、スッキリして、ふと無心になって見上げた時、『壁』がどのように見えるか…
もしその先にある、わずかな『期待』や『可能性』に気づくことができたら、もう概ね大丈夫でしょう。
『壁』が分厚く辛い時、知識と仲間が解決への糸口になるかもしれません。
このブログが、分厚い『壁』に直面して辛い気持ちを抱えている方にとって、少しでも力になれるよう、私たちも頑張っていきたいなと思います。