心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

勉強する意味(ザッチの考え)

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今回は、『勉強する意味(ヒロの考え)』の内容を受けて、私の考えを書こうと思います。

 

 

 

まず私の昔話からお話ししようと思います。

 

私にとって、学生時代の勉強は、さほど苦痛ではありませんでした。

 

私が小中学生だった時代は、まだインターネットが今のように普及していませんでした。なので、私の知らない情報をポンポンと簡単に与えてくれる教育の場は、好奇心旺盛な私にとっては潤いの源で、貴重な存在だと感じていました。

 

つまり、ヒロさんの言うところの、『勉強』と『学問』の差をあまり感じていなかったという事です。

 

ヒロさんは勉強することを親御さんから強制されたようですが、私の場合はむしろ逆で、親からは、

「もう勉強なんか置いといて寝なさい、身体に悪いよ」

とか

「勉強はもういいから、天気も良いことやし遊びに行こ?」

と言われていました。

 

さらに、私の両親は二人とも国語や社会が好きだったようで、家には様々な小説や歴史・思想哲学系の本がありましたが、私はそれらに全く興味を示しませんでした。

むしろ、両親が苦手だった数学(幾何)や理科(生物)が私は好きで、幼い頃はずっとジグソーパズルをしていたり、道端でトカゲやコオロギを捕まえて観察していたりしました。

親からは「あんた、よくそんなん飽きずにするなぁ、誰の子や(笑)」と良く言われましたが、特に私を咎めることもなく見守ってくれていたので、私は思う存分、やりたい事をやらせてもらっていました。

 

恐らく、勉強好きな私の性格は、母の教育によってその土台が形成されたのだと思います。

 

小さい頃(1〜2歳くらい)、まだ『勉強』という概念が無かった頃に、私は母から積み木や知育系のパズルなどを買い与えてもらいました。

母が料理や洗濯をしていて構ってもらえない時は、私は横で洗濯カゴの中にすっぽり収まって、パズルでカチャカチャと遊んでいました。母が移動する時は、洗濯カゴごと移動して、ずっと母のそばに居ました。

寝る前にはお気に入りの絵本を読んでもらっていました。母は、「(まだ私が文字が読めない頃)数回しか読み聞かせていない絵本の内容を耳で覚えて一語一句違わず暗唱していた」と後に言っていましたが、私はその事はあまり覚えていません。親の贔屓目が入っているだろうし、今の私は記憶力がジリ貧です。ただ、当時は洗濯カゴに色んな意味でハマっていた事は鮮明に覚えています。

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幼稚園に入った後も、机でする勉強系はとても楽しく取り組みました。IQテストのような問題集を解いたり、粘土をこねたりするのがお気に入りでした。

 

しかし、幼稚園には私が苦手としているプールがありました。私は当時、水に顔をつけるのがとても嫌いでした。そしてプールの季節は口癖のように「水は飲むものだ!」と言っていました。お風呂で髪を洗うのも苦手だったので、当時は相当な苦痛でした。確実に、ヒロさんのいう " 人生の『壁』" でした。

 

幼かった私は『壁』を避ける為、自分で連絡帳に「熱があるので、今日のプールはおやすみします」と親の字を真似て書いたり、水着を家の押入れの中に隠したりしました(←我ながらセコイな!)

私の通う幼稚園では、スイミングスクールに通っている子が半数以上いて、泳げる子と泳げない子の差がすごく激しかったので、レベル別に色分けされたワッペンを水泳帽に貼る事が義務付けられていました。

もちろん私は初級レベルだったのですが、それを示すワッペンを貼っているにもかかわらず、ある日、隣のクラスの先生が足もつかない深いプールに私たちを投げ込みました。

他にも色々なことが重なった結果、プールもう嫌だー!となってしまい、私は帰って母に泣きつきました。

 

すると母は最初ちょっと困った様子でしたが、最終的には私の思いを否定せず、それは辛かったね、という内容を言ってくれたと思います。

そして「隣のクラスの先生がプールの担当になる時は、ズル休みしよう!」と言って、母が連絡帳に『プール欠席させます』と書いてくれるようになりました。(父はこれには大反対で、甘やかし過ぎだと言って怒っていましたが、当時の母は強かったです)

さらに母は「それでは根本解決にならないから、ザッチもスイミングスクールへ行こう!」と言い、夏休みの短期講習会に参加できるよう手配してくれました。

幸い、スイミングスクールでは丁寧に段階を踏んで指導してくれたので、水に対する苦手意識はすぐ克服できました。お気に入りの友達も1人できて、楽しく通えました。

無事に短期講習会を終え、プールで浮いてバタ足程度ならできるようになった私は、その後、幼稚園のプールもストレス無く参加できるようになりました。

こうやって無事に『壁』を乗り越えられたのです。

 

もし私が母に泣きついた時、母が「そんなワガママ言わないで行きなさい!」とだけ言って、有効な手段を提示してくれなかったら、私はきっとプールが苦手なままで、その後のプール人生は絶望的なものだったでしょう。

 

その後の人生でも、弱っちい私はたびたび大きな『壁』にぶち当たりましたが、いつだって母は味方で、温かく見守って、私の決断を尊重してくれました(父は毎回怒っていましたが…笑)。なので、私が現実にいくら失望しても、好奇心をもって這い上がれたのは、母の支えがあってこそなのだと思います。

(私が思春期の時、そんな母親のサポートが一時的に途切れてしまった事があったのですが、その時は相当辛かったです。それはまた別の記事で…)

 

このような成功体験を積み重ねた私は、学生のあいだ、自らの意思で『勉学』や『学問』に積極的に取り組みました。それらの意味づけに関しては、先の記事(『勉強する意味(ヒロの考え)』)で書いた通りです。

 

そしてやっと本題の(長くてすみません)、他人から強いられた方の『勉強』をする意味ですが、私の考えも、ヒロさんの言う内容に通じるものがあると思います。

 

本来学ぶことが好きで、親も口うるさく勉強しろと言わない環境で育った私が、勉強を強いられるタイミングというのは、ただ一つのパターンでした。すなわち『好きじゃない先生の指導を受けた場合』です。

 

例の幼稚園の隣のクラスの先生も、化粧が濃く、香水がキツい上に、自分はプールに入りませんでした。私はその先生の行動が好きになれませんでした。

他にも学生生活を営む上で、色んな先生に遭遇しました。

かなりご高齢で耳が遠く、生徒がきちんと正解を答えても間違いと言い、クラス全員を立たせて喜んでいた、おばあちゃん先生。

金閣寺を「鹿苑寺」と正式名称で書いただけで不正解にした先生。

子どもだった私は、そういう先生に対して理不尽さをおぼえ、授業中も、本来楽しくて崇高な学びの場が汚された感じがして、とてもストレスを感じていました。

 

今から思うと、その経験は、私の『他人に対する、あるべき像の崩壊』を手助けしてくれたと思います。つまり、『先生だから間違いなんてないはずだ』とか『先生は生徒のことを第一に考えるべきだ』と思う身勝手な私の思考パターンを、見事に壊してくれた、ということです。そして、先生を『先生』という職業の枠組みではなく、ひとりの人間として見るようになったのです。

 

幼稚園の先生 → 婚活頑張ってるのかな…

おばあちゃん先生 → こんな歳でも働いているなんて偉いな…

という具合です。

 

この思考パターンの変化は、やはり継続的に一定期間ストレスに晒されないと(少なくとも私の場合は)起こらなかったように思います。

 

つまり、私は強いられた『勉強』の場に、人間関係を学び、心理的な成熟を得る、という価値を見出していたのだと思います。

 

と偉そうなことを言っていますが、私は色々あって不登校になったので、そのような強制的に勉強する場には、実はそう長くは居なかったのです。

 

なぜ不登校になったのか……それはまた、別のお話で。

 

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何を壁と感じるかは人それぞれ、

壁をどう乗り越えるかも人それぞれですね。

 

相手の気持ちを察して落とし所を自分の中で見つけるとはザッチらしい、ヒロが見習うべき事なんだと思います。

 

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