心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

ヒロに幸せは不要?

f:id:hirozacchi:20190305231153p:plain

 

ヒロは目で見た物や耳で聞いた情報を記憶する事が苦手です。


その為、普段経験している事柄について、記憶が映像化する事があまりありません。


人の顔を覚えられない理由もこれにあたるのではないかと思っています。

 

しかし、ヒロが鮮明に記憶できる条件があります。

それが怒りや不安など負の感情を抱いた時です。

 

更にそのような負の感情を抱いている時は、あらゆるパフォーマンスが急激に上がるような気がしています。

 

普段のヒロはゆっくりした会話でないと言葉を聞き取る事が苦手ですし、ゆっくりだったとしても会話を聞き取る事に集中するあまり、周りの音や状況などがほとんど分からなくなります。

 

しかしザッチと言い争いになった時、どんなに早口で捲し立てられても、全てを聞き取れている気がします。

更にそれが外などの場合、周りの人の会話や動きまで意識できているし、その時の記憶が鮮明に残っています。

 

怒りの感情では例が良くない為、下記記事で紹介した不安を感じた話を例に挙げてみたいと思います。

 

 

ザッチと一緒に法隆寺へ行った時の話です。

 

ヒロは明るい所から暗い所へ入ると視界がブラックアウトしてしまい何も見えなくなります。

 

法隆寺に行って建物に入った時にそのブラックアウトが起こり、ヒロはとてつもない不安を抱きました。

 

この時の記憶が鮮明に残っています。

境内を歩いていた砂利の感触や質感、建物の入り口の映像記憶、ブラックアウトから立ち直った後に見た建物内の構造などなど、その情景がありありと浮かびます。

 

その建物はお寺に似合わずガラスの扉で自動ドアだったので、扉を開けるという行為も必要としなかった事も覚えていますし、ヒロの後から他の人が2人入ってきた気配も感じ取っています。(見えていないのに、です。)

 

普段のヒロの能力ではありえない事です。

そもそも法隆寺では楽しい事が沢山あったはずです。

それなのに、ヒロが鮮明に記憶しているのは、不安になった時の記憶だけです。

その他の記憶は、字面で思い浮かべられても、映像や感覚としての記憶は全くありません。

お昼も法隆寺の近くで美味しい蕎麦かうどんを食べたはずなのに、何か麺類を食べたという記憶だけで、味もほとんど覚えていません。

 

このように、ヒロは怒りや不安の感情を抱いた時の記憶は沢山あるのに対して、幸せを感じた時の記憶がほとんどありません。

 

それがヒロの生きる知恵だったのかもしれません。

幸せだったという事は、何も問題が起きていない『記憶するに値しない事』として無意識に捨てているのだと思いました。

 

ヒロはそれを一概に悪い事だとは思っていませんが、やはり悲しい事だと思います。

 

ヒロが悲しいというより、ザッチと共有した楽しい経験を記憶していないという事は、ザッチを悲しませる事になると思います。

 

なので、どうにか良い方法が無いかと模索しています。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain
 

私はどちらかというと、楽しかった出来事の方が強く記憶に残るタイプです。

 

確かにヒロさんのように、負の感情を抱いた時にパフォーマンスが上がったり、強く記憶が残る方が、生物学的には生き残りやすいのかもしれません。しかし比較的安全な世の中においては、負の感情ばかり記憶に残っては、生きづらいのではないかな、と思います。

 

恐らく、良い記憶も悪い記憶も、状況に合わせて取捨選択し、バランスの取れた状態で居られることが理想なのかなと思います。どちらに偏っても、不都合が生じるような気がします。

 

私も実際、OCDの症状が酷い時は、過去の嫌な記憶にとらわれている場合が多いです。

しかし、日々強迫行為をしつつも鬱にならず生きていけているのは、当たり前のことでも自分が頑張った内容は『できた!頑張った!』という成功体験として、何度も何度も噛み締めているからだと思います。

 

避けようとしても避けきれない不幸があるなら、せめて何もない時くらいは、幸せだった思い出を噛み締めていたい…

それが私の生きる知恵だったのかもしれません。

 

楽しかったことも、辛かったことも、振り返って書き綴れば、文章として残ります。

 

これからも忘れたくない出来事は、記録として適度に残しておきたいと思います。

 

私たちが、ふと振り返って記事を読み返す時、きちんと良いことも悪いことも等しく目を通せたなら、それが一番幸せなことなのかもしれません。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain