心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

昆虫食にトライ 〜ハチノコ〜

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

 

以前、ヒロザッチ雑談でも少し触れた『昆虫食』について進展がありましたので、ご報告致します。

 

 

 

※ 昆虫全般が苦手な方は、ブラウザバック推奨です ※

 

 

 

 

さてさて。

先日、ヒロさんの小説用のネタとして、急遽、ハチノコを食べてみようということになりました。

私もヒロさんも、今までハチノコを食べたことがありませんでした。

 

思い立ったが吉日!と、早速ネットで注文したのがコレ↓です。

アシストバルール ハチノコ甘露煮 30g

アシストバルール ハチノコ甘露煮 30g

 

 

私はかねてより、クリーミィなイモムシを一度食べてみたいなと思っていたので、このハチノコをとても楽しみにしていました。

 

注文から数日後、無事にハチノコが届きました。

 

瓶詰めの甘露煮。ラベルには可愛い絵が描かれています。

可愛い…可愛いはずなのに、戦慄が走ります。

 

夕食後、ヒロさんは缶ビール、私はカルピス(薄め)を準備し、いざ開封の儀へ。

 

蓋を開けると、甘露煮特有の甘い香りが漂います。

まだその段階では、ハチノコは甘露煮の汁に浸かっていて、風貌がよく見えませんでした。

 

私は恐る恐る、ハチノコをスプーンでお皿に移してみました。

 

 

!!!(´Д` )!!!

 

 

想像以上に、見た目のインパクトがありました。

てっきり、イモムシの形の幼虫だけが入っているのだと思い込んでいましたが、実際はそこそこ成長したものも入っていたのです。

 

( ↓こんな感じのが瓶にたくさん!多くの命に感謝 )

f:id:hirozacchi:20190622001521p:plain

まさかこんな絵を描く日が来るとは…! スケッチではないので構造はテキトーです。

 

 

正直に言うと、残念ながら私にとっては、ハチノコの成長過程や色のコントラストを感じられる見た目が結構キツかったです。

幼虫の体節。黒い目。白黒半々の姿。小さく折りたたまれた脚。

 

私は昆虫食にトライできることを楽しみにしていたのです。

…楽しみにしていたはずなのに、予想外のダメージを受けた私は、ハチノコを一匹一匹爪楊枝でツンツンするのが精一杯でした。

 

f:id:hirozacchi:20190622143012p:plain

 

おそらく、コバエのライフサイクルを目の当たりにした、数年前の記憶が蘇ったのがいけなかったのだと思います。

さらに言うと、私は集団生活を営む昆虫(ハチやアリ)が苦手なのですが、ハチノコが瓶にギッシリと入っていたことにより、今からでも動いて集団で襲ってくるんじゃないかという錯覚がして、猛烈にビビってしまったのです。

 

…と、そんな事を考えている間に、ヒロさんはパクパクと美味しそうにハチノコを食べていました。

以前のヒロザッチ雑談では、「(昆虫食は)遠慮しとく」と言っていたヒロさんでしたが、特に抵抗は無さそうです。

 

感想を聞いてみると、「甘露煮の味付けが甘いね」とのこと。

 

…そっちか…ハチノコのルックスじゃないんだ…

 

私はヒロさんのメンタルのタフさに感心しました。

 

…そして、意を決して、いちばんイモムシに近い若そうな個体を爪楊枝でプチュっと刺し、口へ運びました。

 

パクッ

プチュプチュ…

 

…ん?

んん?

 

見た目に反し、味に関しては「大丈夫そう!」というのが第一印象でした。

 

甘露煮の味が、ハチノコのクセを消してくれているのでしょうか…

甘さの向こう側に、僅かな土臭さとホクホク感があります。

例えるなら、桜エビとクワイを混ぜたような味でした(余計に分かりにくかったら、すみません)。 

 

その後、若めの個体を数匹選んで食べ、その日は終了しました。

 

 

 

ハチノコ初体験から数日間、私は少々メンタルをやられていました。

 

自らが望んでいた昆虫食にも関わらず、わずかでも生理的にムリと思ってしまったこと。

独特の土臭さが鼻について離れないこと。

ハチノコ達の眼差しに恐怖を覚えること。

 

それらが入り混じった感情に翻弄された私は、ヒロさんがハチノコを食べる時も、「私はいいや。」と避けてしまっていました。

 

 

数日後、いよいよ瓶の中のハチノコが残りわずかとなったので、私はもう一度、意を決して食べてみることにしました。

ハチノコは高級珍味です。お土産でも喜ばれる品です。

そんなハチノコが苦手なままで私は良いのか(いや、良いはずがない)という思いで、今度は真っ黒い個体にもトライしてみました。

 

パクッ

パリパリ

 

Oh, boy!

なんだ、イケるじゃないか!

 

甘露煮の甘さと、成長した個体のパリッと感が良い組み合わせでした。

数日間、無理して食べずにハチノコから距離を取っていたことで、過去の嫌な記憶に基づく苦手意識は薄れていました。ハチノコの眼差しも、シラスや小エビ類と一緒と思えば、大丈夫な気がしました。

すっかり心を許した私は、テレビを見ながらパクパクとハチノコをつまめる程になっていました。

 

そして、完食。

 

慣れって凄いですね。

自分の脳の仕組みに感謝です。

 

 

というわけで、ご興味があれば、皆さまも是非トライしてみてくださいね!

 

アシストバルール ハチノコ甘露煮 30g

アシストバルール ハチノコ甘露煮 30g

 

 

次は…イナゴかな?

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

 

お久しぶりです。

 

ザッチも言っていましたが、ハチノコは小説で主人公たちが食べる描写をするために買いました。

食べたこともないものを描写するなんてヒロの心情に反します。

 

結果的に味や食感を堪能できて、良い表現ができたと思います。

あとザッチの反応が意外に女の子らしく、とても参考になりました。

短い人生で様々な経験をできることはとても楽しいことです。

 

これからも未知のことに挑戦して表現力を磨いていきたいと思います。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

 

恐怖はどこから? その2

 

f:id:hirozacchi:20190113151640j:plain

f:id:hirozacchi:20190106162903p:plain

前回からの続きです。

 

 

私のOCDの症状のひとつに、汚染恐怖があります。

自分の手や衣服が『汚いもの』に触れたら、すぐ洗いたくなります。

洗わずにいると、その汚れが直接的 or 間接的に触れた物にどんどん拡がって、どうしようもない状態になってしまうという感覚があります。

 

みなさんは、『汚いもの』といえば何を想像しますか?

排泄物、ゴミ、油汚れ、泥、等々。

もちろん私も一般的に汚いとされているものは苦手です。でも、それ以外に苦手なものがあります。

それは『私が苦手なタイプの人間』です。

 

 

例えば、犬の散歩シーン。

 

嫌がる犬を力強くで引っ張るオジサン。

犬、道端でフンをする。

オジサン、フンを見て見ぬふり。

 

私が脳内で、" このオジサン苦手だなー " と思うと仮定します。

 

このような状況では、私の中の『汚いレベル』は以下のようになります。

 

オジサン >>> 地面 >>> 犬のフン > 犬

 

すなわち、もし何かしらの理由でオジサンに握手を求められた場合、『犬のフンを素手で持つ方がよっぽど良い』というのが心の声になります。

 

そんな心の声を実際の声として発することは決してありませんし、必要があれば私は笑顔で握手もする訳ですが、その後、どこかで手を洗うまでは自分の物には触れられない、という困ったことが起こるのです。

さらに、『本来なら笑顔で握手せずに、オジサンの行為を注意するべきなのでは?』とか『本当は握手なんてしたくなかったのに、なんで私は笑顔まで作ってしまったのだろう』とか『オジサンめっちゃニヤニヤしてたなぁ』という思考にハマると、そこから強迫観念が怒涛の勢いでやってきて、手を何回も洗ってしまう事態に陥ります。

 

逆に、犬のフンの場合、「犬は純粋無垢で罪は無い」と思えたら、フレッシュな物であれば、素手で持つことに対しても、あまり抵抗はありません。もちろんその後は手を洗いたいと思いますが、過剰な手洗いはしないでしょう。

 

 

この理屈が派生して、不特定多数の人が触るような、電車のつり革やお金などが私は苦手です。それらに自分の手や衣服が触れた場合、過剰な手洗いや消毒、洗濯が必須となってしまいます。

細菌・ウイルス学的に清潔を保ちたい、という意味合いもありますが、邪念を振り払う儀式のようになっている場合もあります。過剰な殺菌消毒は、皮膚に必要な常在細菌までも死滅させてしまう、逆に不健康になってしまうかも…という意識はあるのですが、なかなか止めることができずにいます。

 

 

このような症状を改善するには、私の場合、『人間不信を治す』ことが有効なのではないかと考えています。全ての存在を、上記の『犬』のようなフラットな位置にまで持っていくことができれば、自然と症状が治まる気がします。

 

人間たちの中で、人として生きる。

 

この当たり前のことが、私の場合、難しかったのかもしれません。

他人と適度な距離を保ち、過信せず、依存し過ぎずに、優しさをもって、誠実に。

そのバランスを崩してしまい、結果、OCDとして問題が表面化したのかもしれません。

 

 

OCDになって以降、多くの方々の優しさに触れることができました。

今まで仕事が忙しいからと蔑ろにしていた旧友との付き合いも再開し、有難く素晴らしいものだと気付くことができました。

ブログを始め、世の中には素敵な人がたくさん居るんだなぁと痛感しました。

温かさに触れ、癒されることが増えました。

 

おかげさまで、私のOCDの症状は、だんだん快方へ向かっています。

まだまだ残っている症状は、きっとまだ私自身気付けていない根深い問題の表れなのかもしれません。

 

もう少し自分の声に耳を傾けて、より良い方向へ行けたら良いなと思っています。

 

 

とりとめのない文章をここまで読んでくださって、ありがとうございます。

いつも支えてくださっている皆様にも、幸せなひとときが訪れますよう願っています。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

恐怖はどこから? その1

 

f:id:hirozacchi:20190113151640j:plain

f:id:hirozacchi:20190106162903p:plain

 

強迫性障害(OCD)を発症してから、5年が経ちました。

これを機に、今回と次回の2回に分けて、私の症状や、OCDに対する思いを少し綴ろうと思います。

まとまりがなく読みにくい部分があると思いますが、ご容赦いただけると幸いです。

 

 

紛失恐怖、汚染恐怖、確認強迫…

些細なことが気になり始めてから、一人では生活できないレベルに陥るまで、そう長くはかかりませんでした。

だいたい半月くらいだったと思います。

 

 

トイレへ行く。ご飯を食べる。ベッドに横たわる。

毎日当たり前にしていたことが、怖くて怖くて仕方なくなり、思うようにできなくなりました。

冷や汗を垂らしながら迫りくる恐怖を抑え込み、何時間もかけてそれらをこなしました。

 

 

発症してから数ヶ月後には、身体にも影響が出ていました。

思うようにトイレに行けなかったので、膀胱炎が悪化しました。

お腹が空いてもご飯が食べられず、体重が15キロほど落ちました。

ベッドに横になるのも一苦労なので、2、3日完全徹夜する日がほとんどでした。

 

 

自分の中から生まれる恐怖を振り払い、日常最低限の行動をするだけで、時間が過ぎていきました。

仕事や趣味に没頭した結果このような生活になるならまだしも、生産性の無い行為で貴重な時間が奪われていくことに焦りや絶望を感じていました。

 

 

私は朦朧とする頭で、なぜ自分がこのようになってしまったのか、どうすればこの状況から抜け出せるのかを必死に考えました。

 

原因の候補として最初に思いついたのは、私が今まで置かれていたストレスフルな状況でした。

具体的な例を挙げるのはここでは控えますが、私は自分をとりまく環境、特に人間関係において、幼少期から問題を抱えていました。

最初は些細な出来事だったと思います。しかし、それらによるストレスが解消されないまま学校生活を送り、結果、不登校になりました。その後多くの人たちに支えられたおかげで大学は楽しく通えたのですが、いざ卒業して就職した会社でもトラブル三昧。私が自らが招いた結果なのかもしれませんが、確かに私の心に傷跡を残していきました。

 

私の場合、さらに悪いことに、ストレスを発散せず、飲み込んで我慢するという癖がありました。本来なら我慢できないようなことでも「大丈夫」と言い、どんどん心身の痛みに鈍感になっていきました。

 

他にも、甘え癖や、ある種の余裕などは、OCDの栄養になっていたかもしれません。様々な要因が複合的に合わさった結果、私は重度のOCDになったのだと思います。

 

 

現状、私自身もっとも大きな問題だと考えているのは、「大丈夫」発言のような『自分を偽る』という癖です。我慢することが常習化し、何が大丈夫で、何が大丈夫でないのか、自分でも分からなくなる時があります。

 

不快な感情を無かったことにしたり、苦痛から意識を背けるといった、自分の内なる声を抑え込む癖が直らない限り、OCDを完全に克服するのは難しいのではないかなと思っています。

OCDは、長きにわたり私に蔑ろにされた自分自身が発している悲鳴のようにも感じられるのです。

 

 

このことを意識するようになってからは、背中からゾクゾクっとくるタイプの『恐怖』や、切羽詰まった『強迫観念』は、次第に治まってきているように感じています。

 

さらに、OCDになって以降、日々健康に生きられることの有難さや、優しく接してくれる人達の存在をだんだんと意識できるようになり、その安心感が症状の改善に繋がっていると思います。

 

 

次回、『恐怖はどこから? その2』へ続きます。

 

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

創造力と想像力、適材適所。

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

最近、ヒロさんは熱心に小説の執筆活動に取り組んでいます。

小説家になる夢を叶えるため、日々色んなことに挑戦しています。

 

私が、「ヒロさんの小説、読んでみたいな!」と言ったのが約一年前のこと。

それ以降、ヒロさんは様々なジャンルの物語を書いて、私に読ませてくれました。

 

もともと私は小説を読むのが苦手なタイプです。

数人のお気に入りの作家さんはいるものの、それ以外は国語の勉強で触れた程度と言っても過言ではないでしょう。

しかしながら、不思議とヒロさんの書いた小説は、全て楽しく読めています。

ヒロさんの力作だということを知っているので、もしかすると贔屓目も入っているかもしれません。

 

 

先日、『ラブコメ』をテーマに短編小説を書く機会がありました。

(お世話になった方々には、この場を借りて御礼申し上げますm(_ _)m)

 

ヒロさんの苦手とするジャンルでしたが、二週間ほどであらかた形になりました。

いざ書きあがったものを読んでみた私は…

 

f:id:hirozacchi:20190611163557p:plain

こんな感じで、見事にどっぷりヒロワールドにハマりました。

 

書き上がったばかりで少し表現が分かりにくい所があったものの、コメディ要素の部分では声を出して笑ったし、複雑な心情が描かれたシーンではグッとくるものがあり、号泣してしまいました。

(内容が既に分かっているはずの校正作業中も、何度も泣かされました)

 

 

私はヒロさんほど創造力が豊かではないので、このような混んだネタを短期間で思いついて書けるのは凄いなぁ、と感心してしまいます。

 

ヒロさんは小説のネタ以外にも、新しいビジネスモデルや遊びなどのヒラメキを以前から私に話してくれていました。

親父ギャグのようなベタベタなものもあれば、なかなか斬新なのものもあって、私はそんなヒロさんのアイデアを聞くのが結構好きです。

 

ただ、熱心にヒロさんの話を聞けば聞くほど、示されたアイデアがベタベタなものの場合や、新規性が無いものの場合、どうしても「それ前になんかで見たことあるかも」「その条件はちょっと微妙ちゃう?」など、ツッコミ的な意見を言ってしまって、ヒロさんをげんなりさせてしまう事が少なくありませんでした。

ヒロさんは単に思いついたアイデアを私と共有し、賛同して欲しいだけなのに、ついつい私がツッコミを入れるので、私のその行為がヒロさんからは『アイデアの全否定』と取れ、更に私が有効な代替案を示せなかった場合には、『ヒロさんという人間の否定』という認識までヒロさんの中で派生してしまうこともありました。

 

私は『新しいアイデアの精査(正直な話し合い)』をすることが、ネタ提供者(ヒロさん)に対する真摯な態度だと思っていたのですが、それはヒロさんの求める所ではなかったのです。

 

 

この二人の思考回路の差は、そこそこの深度を伴う問題として、私たちの間に存在しています。

端的に言うと、それぞれのタイプが違うことが原因なのかもしれないと私は考えています。

(あんまりカテゴライズし過ぎるのも良くない気がしますが、お互いのことから焦点がブレない限りは、ある程度問題が紐解きやすくなり、解決に繋がるのではないかと思っています)

 

ヒ   ロ → 未来志向の創造タイプ

ザッチ → 過去志向の想像タイプ

 

ヒロさんは創造力豊かですが、過去の情報から判断したり、何かを想像したりするのが苦手なようです。しかし、思考を未来に飛ばして、現状を打破したり、何も無い所に積み上げていく感覚は、人一倍鋭いと思います。

 

私の場合、何も無い所に自由にモノを作り上げることには戸惑うことが多く、極端に効率が下がります。しかし、過去の情報を参照して精査したり、何かを想像して改変していくのは好きな方です。

 

 

この二人の差はトラブルの元でもありますが、小説に関わるようになって以降、悪い事ばかりではないなと思えるようになりました。つまり、役割分担が機能するようになったのです。

 

小説の執筆過程を例に、もう少し詳しく説明すると、以下のような感じになります。

 

  1. 小説のネタを考える。担当:ヒロ
  2. ネタを参考に登場人物の名前を考える。担当:ザッチ
  3. 登場人物の性格を考え、名前に割り振る。担当:ヒロ
  4. 登場人物の性格と名前から見た目を考え、絵におこす。担当:ザッチ
  5. 絵からイメージを膨らませてストーリーを考え、文章にする。担当:ヒロ
  6. ストーリーやキャラ設定の辻褄合わせの提案。ネタ詰まり時のヘルプ。担当:ザッチ
  7. 話を最後まで書き上げる。担当:ヒロ
  8. 文章校正、読者目線で分かりにくい所が無いかチェック。担当:ザッチ
  9. 最適な表現の模索。最終チェック。担当:二人で共同

 

おおよそ現状はこのような感じで役割分担をしています。

基本的に小説はヒロさんが書いているのですが、上記のようなタイミングで私が参加しています。

 

ヒロさんは、登場人物の名前や見た目を想像するのが苦手らしいです。しかし、それらを他人から提示されると、脳内でキャラクター達が勝手に動き出し、物語が創造されるというのです。

 

私には『脳内でキャラクターが勝手に動く』という感覚が分からないし、例え理解したとしても、ヒロさんのようにネタが湯水の如く湧き出ることは無いでしょう。それよりも、ヒロさんが苦手という、校正のような一旦仕上がった物を変更する行為に対して、特別な苦手意識はなく、むしろチマチマといじくる方が性に合っている感じがします。

 

 

今までの私は、『適材適所』という言葉からは、ビジネスシーンでの部署や仕事単位での人員配置、もしくは家庭内の家事の役割分担をイメージしていました。

しかし今回、小説執筆という、机の上で小さく閉じたものだと思っていた行為でも、タイプの違う私たちが上手く役割分担し、機能することが分かりました。

 

二人で何か一つのものを作り上げるというのは、とても素敵で、有難いことだと感じます。

もちろんトラブルの原因になることもあるのですが、この素敵な感覚をこれからも大切にできれば良いなと思っています。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

ご無沙汰しておりました


f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

皆様、お久しぶりです。

 

長らくブログの更新を怠っていました。

新しい記事を楽しみにしてくださっていた読者様には、ご心配とご迷惑をかけたと思います。この場を借りてお詫び申し上げます。

 

 

さて、前回の更新から約一カ月ほどの間、何をしていたのかというと、実は『引越し』に伴う諸々を頑張っていました。

 

ブログで『引越し』と書くと、ブログサービスやドメインの引越しを思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、そうではありません。

 

『おうち(住処)の引越し』です。

 

段ボールに荷物をひたすら詰めて、不要な物は処分して、住所変更など書類的なことをして…

 

OCDの私にとって、引越しはとても大変なことです。

紛失恐怖や汚染恐怖、確認強迫が一気に襲ってきます。

 

OCDの症状を抑えながら無事に引越し作業を遂行するには、ヒロさんに理不尽なお願いをしなければなりませんでした。

 

「今ちょっと動かないで」

「段ボール詰めは私だけにやらせて、把握したいから」

「段ボールに擦れないように動いて」

「緊張するからこっち見ないで」

 

なかなか酷い言葉ですよね。

家主はヒロさんなのに、ヒロさんの居場所を奪うようなことばかり要求してしまいました。

言っている本人(私)は、OCDによる恐怖で頭がいっぱいいっぱいなので、語気も不安感満載で、穏やかではないものになっていたと思います。

 

今回、ヒロさんはかなり我慢してくれていました。

引越し作業をするにあたり、二人の間で色々とトラブルが起こるだろうけど、できる限りそうならないように頑張ろうね、と約束していました。

 

私としては、引越し日までにOCDの症状を抑えつつ無事に荷造りを終えることを第一目標にしていたのですが、私のペースではヒロさんの期待に沿えなかったらしく、結局何度か衝突してしまいました。

荷造り以外にも色々とあり、お互いのコミュニケーションの齟齬が浮き彫りになったのですが、過去のブログの記事にも記したような問題解決法を思い出し、何とか乗り切ることができました。

 

ただ、今まで結構な時間をかけてお互いのコミュニケーションの取り方について話し合ったはずなのに、問題を『未然に』防ぐことはまだまだ難しいなと感じました。お互いの心の余裕が無い時は特に気をつけないとダメかもしれません。

 

それでも、お互いの問題点について何も話し合わずに騙し騙しやり過ごすよりは、解決も早く、仲直りもスムーズにいったと思います。ネガティブな感情の連鎖や応酬を断ち切って、「ごめんね」と素直に言いやすかったです。

 

途中体調を崩したりもしましたが、お陰様で今は二人とも元気でやっています。

 

これから、このブログはボチボチマイペースで更新していくと思いますが、ゆるーく見守っていただけると嬉しいです。

 

ずっと音沙汰ナシだったブログにまたお越しいただき、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

感謝!m(_ _)m

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

ヒロザッチ雑談4 〜子どもの頃の夢〜

f:id:hirozacchi:20190310212505p:plain
 

ヒ「ザッチは子どもの頃の夢って何だった?」

ザ「幼稚園の頃はパン屋さんやったなー!粘土でよくクロワッサン作って遊んでた!」

ヒ「なんでならなかったの?全部食べちゃうから?」

ザ「ちゃうよぉ!パン屋さんは早起きせなあかんって聞いたからな。ウチ夜型人間やしキツいかなぁって思って…」

ヒ「起きるの遅いもんね。早起きしなくて良ければなってたん?」

ザ「うーん、どやろなぁ。小学生になってテレビゲームするようになってからは、ゲーム作る人になりたいって思っててな、どのみちそれに取って代わられてたかもしれん」

ヒ「そうなんだ。じゃあ、なんでゲーム作る人にならなかったの?」

ザ「うーん、それは難しい質問。色んな要因が重なってんねんけど、高校生になって、息抜きを仕事にする危うさとか、周囲の期待とか、なんか色々考えているうちに流れに流されてもうて、貫かれへんかったなぁ」

ヒ「そっかぁ。」

ザ「ヒロさんは何になりたかったん?」

ヒ「小説家だよ。」

ザ「今も夢に向かって一直線?」

ヒ「うん、遠回りしたけどね。」

ザ「でも、一旦プログラマーになったから得られたものもあるんちゃう?プログラマーにはなんでなったんやっけ?」

ヒ「小説家は親に即答で『なれるわけない』って言われて、プログラムは同じ文字情報だけで色んな物が動いて行くのが楽しかったから!」

ザ「なるほどねー。親に否定されると辛いよね…。小説家、なれたら良いね!頑張ろうね!」

ヒ「うん!なれるかどうかは分からないけど、書きたいものがいっぱいあるから、時間がある限り書き続けたいな。」

ザ「楽しみながら続けられるのが良いよね。ネタが尽きないのもヒロさんの良いとこや(^^) 。私もイラスト描いて応援するな!」

ヒ「ありがと!可愛いのお願いね!」

ザ「うむ、頑張るで!」

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

↓ ヒロが書いた連載小説を公開中!ぜひご覧ください♪ いつか二人で作った(ヒロはプログラム、ザッチは絵担当で)簡単なゲームも公開したいなと思っていますー↓

 

心に噺がおじゃましまっす!

 

f:id:hirozacchi:20190313140319p:plain

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

 

感情のコントロール(合言葉)

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain


少し前の話ですが、ザッチが菜の花を食べてとても美味しかったという話をしてくれた事がありました。

当然ヒロに食べさせてくれるつもりでその話をしたのだと思い、スーパーで菜の花を見つけた時に「食べたいから買おう」と気軽に言ってしまいました。

ザッチは悩んでいましたが、献立を悩んでいるだけだと思い、深くは考えず買って帰りました。

 

ところが、小さな虫がついていて、ザッチのOCDの症状も相まって、料理をする事はとても大変そうでした。

しかも買う時に既にその事を予想していて、その事で悩んでいたそうです。

ヒロが無邪気に食べたいと言うので頑張ってくれたのです。

 

菜の花は、それはそれはとても美味しかったです。

そしてそれを合言葉にしようと決めました。

何の合言葉かというと、ヒロが感情をコントロールできなくなり怒りだしそうになった時、『菜の花』と言う事にしたのです。

 

『菜の花』という言葉には、ヒロの為にザッチが頑張ってくれた想いや、ザッチへの感謝の気持ちなど様々な感情が詰まっています。

その言葉でヒロは心が穏やかになれると思ったのです。

 

残念ながら言い合いになってしまうとお互いその言葉を忘れてしまうので、実際はまだ数回しか合言葉を使えていません。

しかし、その数回はちゃんと効果があったと思います。

今は忘れない為に、紙に書いて壁に貼ってあります。

 

『菜の花』と聞いたら感情をコントロールする癖を付けられれば、もしかしたら、ザッチとの言い合いでなくても効果はあるのかもしれないと思います。

そしてこれがヒロにとって、良いこだわりになったら良いなと思います。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain
 

春のお野菜、食用の菜の花。

シンプルに酢味噌和えで食べるのが私は好きです。

 

ある日ヒロさんに、

「菜の花、食べた事ある?」

と聞きました。

普段、味にはうるさいヒロさんですが、実は今までの人生でスルーしてきた食べ物が多いみたいです。

今回の菜の花も「食べたこと無い」との事でした。

ヒロさんの好みの味の系統を考えると、菜の花はきっと気に入るだろうと思いました。そして菜の花を近いうちに食卓に出そうと心に決めました。

 

最初、私はお惣菜の(出来合いの)菜の花の和え物を買えば良いやと思っていました。

しかし、ヒロさんと一緒にスーパーへ行った時、野菜売り場でとても質の良い、束になった生(ナマ)の菜の花を発見しました。

私は『調理前はこんな感じの見た目なんだよ』ということを示したくて、近くで別の野菜を見ていたヒロさんを呼びました。

するとヒロさんは菜の花の見て、「食べたいから買おう」と言いました。

 

私はOCDの症状のせいで、菜っ葉系の野菜を扱うのが苦手です。

葉の隙間に虫や砂が入っていたり、構造が複雑で洗いにくかったりするからです。

私はそれまで自分で菜の花を調理したことが無かったのですが、きっと菜っ葉系特有のリスクがあるだろうと思いました。

それで、その時も一瞬、生の菜の花を買うかどうか迷いました。

 

きっとお惣菜だったら、楽だったと思います。

しかし、ヒロさんにとってはせっかくの『初』菜の花なのだから、美味しいものを食べてもらいたいという気持ちが私にはありました。

お惣菜になる過程で、もし変な味が付いていたら、素材本来の味が楽しめないかもしれません。

そしてヒロさんは『素材本来の味』を大切にするタイプです。

このようなことを考えた結果、私は『お惣菜』の案は無しで、『生の菜の花から自分で作る』プランが最適だと判断しました。この思考の過程をヒロさんにリアルタイムで話さなかったのは、ただ純粋に菜の花がヒロさんの好きな味か否かを、私の頑張り云々に関係なくジャッジして欲しいと思ったからです。

 

案の定、2束買った菜の花のうちの片方に、虫がたくさん付いていました。小さなイモムシみたいなのが中でウネウネしていました。私は台所で菜の花を水攻めにして、必死に虫をつまみ出しました。ギャーギャー言いながら頑張ったので、その様子をヒロさんに見られてしまいました(むしろ虫は自分から見せに行ったかもしれません (^^; )。

 

なんとか無事に調理し、酢味噌も添えました。

ヒロさんは私の予想以上に興奮して、美味しそうに食べてくれました。

とても嬉しかったです。頑張った甲斐があったと感じました。

 

そして、ヒロさんの案で『菜の花』が合言葉になりました。

言い争っている時、往々にしてヒロさんは私を敵(不審者)認定してしまうのですが、それが合言葉によって防げるというのです。

 

正直にいうと、私は合言葉の効果について、にわかには信じられませんでした。そんな言葉一つでトラブルが防げるのなら、意識を過去の良い思い出に少し巡らせれば、今までも防げたはずと思ったからです。

さらに、言い争い中に過去のこと(菜の花という合言葉)を引き合いに出してヒロさんの癇癪を鎮めるのは、なんだか西遊記の悟空を頭の輪っかで無理矢理抑えるのと同じように私には感じられました。

申し訳ない気持ちと同時に、合言葉を言った瞬間、さらに敵対視されるのでは無いかという不安もありました。

 

そういう訳で、最初のうちは言い争い中になかなか『菜の花』という合言葉は言えずに居ました。

しかし言い争い後のフィードバックで、ヒロさんは合言葉を使って欲しかったと言います。

それなら…と、私も覚悟を決めて使ってみると、なんということでしょう!とても効果がありました。

さらにヒロさんから「使ってくれてありがとう」とお礼まで言われたのです。

 

私にとっては、そんなことで?と思えることでも、ヒロさんにとっては大切なキッカケなのだと思います。

 

最近、合言葉をもっと有効利用しようということで、1日最低1回は挨拶のように『菜の花』とお互いに言い合うことに決めました。それ以降、比較的穏やかな日々を送れているように思います。

 

とても綺麗な合言葉、ヒロさんらしいチョイスです。

 

皆様の心にも、素敵な花が咲きますように。

 

f:id:hirozacchi:20190108164142p:plain

サカタのタネ 実咲花7460 菜の花 寒咲系混合 00907460

サカタのタネ 実咲花7460 菜の花 寒咲系混合 00907460

 

f:id:hirozacchi:20190108164142p:plain

 

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ 〜若山牧水〜

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

 

今回は、短歌にみる孤立型アスペルガーの話です。

 

…いや、そんな大した話にはできないので、単なるザッチの戯言として、軽く読んでいただければと思います。

 

では早速。

 

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ

 

f:id:hirozacchi:20190418015125p:plain

 

戦前の日本の歌人、若山牧水の短歌です。

 

空の青にも、海の深い青にも染まらずに漂う白鳥(しらとり)。

哀しくはないのか…いや、きっと哀しいだろう…

 

この歌に初めて出会ったのは、私が小学生の頃でした。

大きな衝撃を受けたのを覚えています。

 

青空と海、潮の香り、水平線近くで切なく漂う白鳥が想像され、脳内にこびりついて離れませんでした。

 

そしてしばらくの間、ふとした瞬間に思い出されて、ほろほろと涙がこぼれました。

 

 

思春期を過ぎると、この歌を思い出すことは無くなりました。

しかしつい先日、10年ぶりぐらいに思い出したのです。

 

きっかけは、ヒロさんと一緒に日本海を見に行ったことです。

普段、瀬戸内海はよく見るのですが、それとは違う荒々しさ、力強さが日本海にはありました。

 

 

ヒロさんは、孤立型(アスペルガー)の特性が強く出ています。

『自分』というものをしっかり持っていて、意味もなく多数派になびくようなことはありません。

 

私はヒロさんに出会った当初、こんなにも誠実で優しいヒロさんが、友達もおらず孤独に過ごしていたことについて、可哀想だなぁと思うことがありました。

私はそれまでの人生で、友達は少なくてもいいけど居た方が良いし、優しい人の周りには優しい人が集まるものだ、と思い込んでいました。

 

小学生だった頃の私は、その短歌に触れ、似たような哀愁でほろほろ泣いていたように思います。

白鳥がポツンと存在している雰囲気がとても孤独に感じられ、当時周囲とあまり馴染めなかった私を白鳥という存在に重ねていました。そして、決して青くはなれない白鳥の存在に憂えていました。

 

 

年齢を重ね、私は徐々に周囲と馴染む術を覚えていきました。

しかし、それでも私はその短歌でほろほろ泣いていました。

馴染みたくない集団にもニコニコし、取りたくない行動を取ったりして、過剰に周囲を気にして生きるようになった私には、白鳥の存在はとてもまぶしく感じられました。

澄み渡った空、雄大な海という大きな存在を前にしても決して影響されることなく、白鳥は純粋に気高く、ただそこに在り続ける…。

とてもかっこいいと思いました。

私がもし白鳥だったら、空の水色と海の深い青の中間色を身体に塗って、漂っていたことでしょう。

いかに目立たず、自分の心を殺すかということに、とらわれていたように思います。

白鳥は私と違って強いなぁ…そういう思いで涙を流していました。

 

 

その後、少しずつ努力が実り、良い友達に恵まれた私は、自然とその短歌を思い出すことがなくなりました。とても充実した時を過ごしていたように思います。

 

 

しかし人生山あり谷ありで、良い時はそう長くは続きませんでした。

様々な要素が重なった結果、OCDになった私は、随分と心も身体も弱ってしまいました。

 

そんな中、私はヒロさんに出会いました。

ヒロさんのことを深く知るにつれ、ヒロさんの理屈を貫き通せる強さ、孤独を愛せる気高さが、とてもかけがえのないものに感じられました。

私には無い逞しさに、とても惹かれました。

 

「定型に合わせるつもりなんて無い」

 

そうヒロさんが言い切るのを聞いた時は、正直ショックでした。

しかし、この短歌の白鳥のことを思い出すと、ヒロさんの言葉の意味も理解できるような気がします。

 

私はしばしば、白鳥のヒロさんに、青いペンキをぶっかけようとしているのかもしれません。

もしくは、青いペンキの上手な塗り方を、さも必須の事のように教えてしまっているのかもしれません。

空や海の雄大さを説いて、白鳥を塗り潰そうとする行為は、果たして良い事なのか悪い事なのか。

 

f:id:hirozacchi:20190418015316p:plain


 

(いや、俺は白鳥だからね?青いペンキなんて嫌だよ?)

 

そんな声を白鳥から聞いたら、私は…

 

f:id:hirozacchi:20190418015345p:plain


 

最近、ヒロさんは『如何に周囲に波風立てず、無難に過ごすか』を課題にして過ごしてくれています。

 

不慣れな人前で無難に過ごすのはとても神経を使う行為だと思うのですが、頑張ってくれています。

 

 

いつの日か、白鳥が空高く思うままに飛び立てるように、私は傍で見守ろうと思います。

 

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

 

ヒロは周りに染まる気はありませんが、それだと外敵に襲われやすくなります。

 

ヒロは今まで自分の色を変えたくない為に、相手の色を認めていませんでした。

 

無難に過ごすという事と周りに染まるという事は似ているようで全く違うと思うのです。

 

自分の色を変える事なく相手の色を認め、波が立てば波に乗り、風が吹けば風に身をまかせるような生き方ができたら良いなと思っています。

 

凄く抽象的な表現ですが、無理せず自然にのんびりのびのび、頑張れたらいいなぁと思うのです。

 

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

若山牧水歌集 (岩波文庫)

若山牧水歌集 (岩波文庫)

 
牧水の恋

牧水の恋

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain




ASDのタイプとヒロ

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

ASDには下記の3つのタイプがあるそうです。

 

・孤立型
  人と関わろうとせず、独りでいることが多い。

・受動型
  流され易く、自分を表に出さないことが多い。

・積極奇異型
  積極的に人と関わろうとすることが多い。

 

それぞれの説明をここでするつもりは無いので、簡単に一言添えるに留めています。

興味がある方は別途お調べください。

また、他にもタイプはあるようですが、本記事では代表的な上記3パターンについてのみ触れます。

 

ザッチは今のヒロを見る限り、孤立型のように見えると言います。

ヒロもその意見に異論はなく、孤立型が色濃く出ていると思います。

 

このタイプは成長と共に変わる事もあるそうです。

ヒロもかなり大きく変化していったと思います。

 

ヒロは元々生まれ持っての性格が孤立型だったのだと思います。

常に独りで遊び、自ら人と関わろうとは決してしませんでした。

 

しかし、ある時から受動型に変化していきました。

それは恐らく親の言葉が影響していると思います。ヒロの親は、

「子供は元気に友達と外で遊ぶべき」

という固定概念があり、小学校低学年まで友達に誘われたら断ってはいけないというルールがありました。

このルールにより、強制的に受動型に変異したのだと思います。

 

しかし、更なる追い打ちがヒロを襲います。

学校の先生からの

「授業中は積極的に発言するべき。授業中、手をあげない生徒は悪。」

という固定概念を押し付けられます。

この時点で受動型であったヒロは、その指示を受け身的に愚直に実行し、その行動は実生活にまで及びます。

こうして積極奇異型に変異していったのだと思います。

 

小学校高学年で積極奇異型に変異した後は、積極奇異型と孤立型を行ったり来たりしていたと思います。

 

ヒロの根本は孤立型なのに対して、親や先生から与えられた概念を総合して、ヒロの中で積極奇異型こそ正義だという考えがあったのだと思います。

その概念とは下記2つだと思います。

「友達が多い事は素晴らしい」

「積極的に発言できる人は素晴らしい」

孤立型優位なヒロがこれを実行すると、普通には振舞えず積極奇異型に変異するのだなと思います。

逆に受動型は一時期経験したものの、その自分を酷く嫌っていた事を覚えています。

人に流されるくらいなら、例え失敗しても自分の思う行動をするべきで、その結果孤立しても良いと思っていたからです。

 

ちなみにザッチと初めて会ってから数回は、積極奇異型が発動していました。

ザッチはヒロの距離感が近いと感じていたらしいです。

 

このように今色々と考えてみて、どの特性が一番良いという事ではないのだとようやく理解できてきました。

何事もやり過ぎは良くありません。

まずは自然体である孤立型の自分を受け入れ、無理をせず自然体で人に接する事を覚えられたら、何かが変わるのかもしれないと思いました。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

 

OCD的 美容室事情(ザッチの場合)

f:id:hirozacchi:20190113151640j:plain

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain


先日、美容室へ行ってきました。

 

私はとても癖毛なので、10代の頃からストレートや縮毛矯正を欠かさずしています。

地毛のまま放置すると、ホウキのような感じになってしまい、どうにも不便なのです。

 

OCDになって以降、オシャレから縁遠くなってしまった私ですが、縮毛矯正だけは頑張って継続しています。

外出が思うようにできなかった時も、カバンからお財布を出して会計するのが辛かった時も、なんとか騙し騙しで乗り切ってきました。

 

しかし、OCDは根深いもので、おおよそ外出やお会計事情が改善した今でも、美容室に行く際は独特のストレスを感じてしまいます。

 

今回は、その美容室にまつわる私のOCDの症状を、いくつかご紹介したいと思います。

 

  • 予約して時間通りにお店に行く

私のお気に入りの美容室は、平日でも一週間前には予約が埋まってしまう事が多いお店です。

日によって体調や症状にムラのある私にとっては、一週間以上先の予約を入れる行為は、そこそこプレッシャーです。

当日スムーズに動けるように、他の強迫行為などを事前に済ませ、条件を整えておかないといけません。

 

  • メンバーズカードを出す

美容室のメンバーズカードには、氏名が書かれていることがほとんどだと思います。

個人情報が含まれるものを家の外で出し入れするのは、まだ少し辛いです。

現在絶賛リハビリ中。

 

  • 上着やカバンを預ける

自分の持ち物を他人に触られるのが辛いです。

汚染恐怖と紛失恐怖があります。

最近は、私が懐いている人であれば、触られても大丈夫になりました。

美容室のスタッフさんは皆さん笑顔が素敵な方ばかりなので、私も落ち着いて預けることができています。

 

  • 雑誌を読む

雑誌のページの間に何か大事なものを挟んでしまっていないか気になったり(紛失恐怖)、他の方が触った本に触れることが辛かったり(汚染恐怖)します。

今はそれらの症状は落ち着いているので、本の内容を楽しむことができています。

他の紛失恐怖(ごみ捨て等)のリハビリをしていたら、だんだんマシになってきました。

 

  • サービスのドリンクを飲む

コップの綺麗さとか、ストローの先に手が触れていなかったかとか、とても気になります。

たまに手で摘まなければ食べられないお菓子を提供してくれるお店があって、食べたいのに食べられないことが、とても辛いです。

今の美容室は小包装のお菓子を用意してくれるので、とても食べやすいです。ありがたや。

 

  • スプレー剤の使用

セット用のスプレー剤を吸い込んでしまうのが、とても辛いです。これも汚染恐怖の一種だと思います。

お店の方には、簡単に「スプレー剤が苦手なんです」とだけ伝えて、洗い流さないトリートメントのみで仕上げてもらっています。

 

  • 「今日はシャンプーはお控えください」

縮毛矯正をすると、毎回言われます。

私はこの言葉を言われる度に、申し訳ない気持ちになります。

現状では、聖域(絶対に清潔にしておきたい領域)であるベッドに、髪を洗わないまま入って寝るのは難しいです。

 

以前、なんとか頑張ろうと思い、洗わずに寝た時があったのですが、とても大変でした。

まずベッドにバスタオルを敷き、さらに髪を収納するように頭をフェイスタオルで巻きます。就寝中も頭の方は触れないように気をつけ、服の脱ぎ着も足の方からします。

それだけしても、やはり辛く、結果的にシーツやパジャマ一式を洗ってしまいました。

かなり苦労したのに、フェイスタオルで巻いた髪は変な形がついてしまって、何してんねん私…という状況に。

 

それ以降、髪を洗わないことは諦めました。

帰宅後いつも通りのタイミングで『軽く』(←ここ我慢ポイント)洗って、しっかりトリートメントして、きちんと乾かして寝るようにしました。その方が髪にも優しい気がします。

 

 

以上のように、本来快適な美容室事情でも、私にとってはこれだけの頑張りポイントがあるのです。

 

美容室の担当の方には、私がOCDだということは伝えていません。私は自分がOCDだと伝えた相手の前では、無意識のうちに甘えてしまうのか、症状が強く出る傾向にあります。

以前は『症状が出た場合に迷惑になったらいけないから…』と、大切な相手にはあらかじめOCDの事を伝えていたのですが、その行為が『甘え』や『私はOCDなんだという認識』を生み、余計に迷惑をかけてしまっていました。

なので、美容室ではあくまで『平日なのにプラプラしてる奴』ぐらいのノリで接して貰い、私もそういうキャラで行っているので、症状が抑えられています。

 

しかし、どれだけOCD的に辛くても、私は美容室へ行くことが大好きです。

毎回、美容室で沢山の元気を貰えるからです。

 

美容師さんの笑顔や施術は、OCDで凝り固まった私の心と身体をほぐしてくれます。

そして毎回、頑張って行って良かったなぁ、という気分になります。

とてもとても、ありがたいことです。

 

このようにOCD的に辛い内容を、心身の癒しと結びつけられれば、良いリハビリになると思っています。

 

次の美容室の日を楽しみに、日々頑張っていきます!

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

庭の手入れと心

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

先日ザッチと2人でお寺に行った時の話です。

そのお寺の庭がとても手入れされていて綺麗でした。

綺麗な花も咲いていて、ザッチもとても気に入った様子でした。

そして池を見た時に、ヒロは感心しました。

その池の構造は言葉で説明すると大変なのでザッチに絵を描いてもらいました。

 

f:id:hirozacchi:20190402235011p:plain

池のそばには木があり、落ち葉が落ちていました。

その落ち葉は水の流れで少しづつ奥に流されていたのです。

しかし、水を入れていたところと反対側(絵の左側)は水が溜まり淀んでしまうような構造だったにも関わらず、落ち葉一つありませんでした。

つまり、毎日池の中を掃除していなければその状態はあり得ないのです。

池の中を毎日掃除するなんて、とても大変な事です。

 

後で、そこを管理している人と偶然会って話す事ができたのですが、管理している人はとても少ないという事も分かりました。

 

『掃除をすると運気が上がる』という事をよく耳にしますが、その見本のような庭だったと思います。

『運気』をどう捉えるかは人それぞれですが、ヒロはその庭にいる間、少なくとも心が安らかになりました。

 

どんなに忙しくても、どんなに大変だったとしても、疎かにしてはいけない事があります。

別に掃除に拘る必要はないのです。

毎日掃除をして、身だしなみをきちんとする、といった事に気を配れる心の余裕を持つ事が、今のヒロには必要なのかもしれません。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

 

ヒロさんは、綺麗に手入れされている草木やお庭を見ることが、とても好きなようです。

 

街を歩いていても、道沿いの花壇を見て「素敵だねぇ」と言ったり、ゴミひとつ落ちていない歩道に感心したりします。

そして、掃除や整備をしてくれている人の存在に感謝することを怠りません。

 

 

普段、『察することが苦手』と言っているヒロさんですが、このように手入れする人の存在に思いを馳せ、感謝の気持ちを忘れないその姿勢は奇特だなと感じますし、私も見習いたいなと思います。

 

どうすれば周囲の人も自分も心穏やかに過ごせるか…そんなことを考えつつ、余裕を持って日々を生きていけたら良いなと思うお話でした。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

スープのそぼろを『救う』

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

今日は新しいことわざを作ったので紹介します。

それは記事タイトルの『スープのそぼろを救う』です。

 

スープのそぼろってなかなか掬いきれないですよね。

そこから『救っても救っても救いきる事が大変な様』を表現してみました。

しかし、そんなに悪い意味じゃありません。

そぼろって美味しいですよね。

例え『救う』事が困難だったとしても、頑張って全て『救いたい』と想う気持ちが表れています。

そして、全部『救う』為には器のスープも、その人の想いや事情も全てを飲み込んで『救う』事になります。

 

<用例>
『ザッチのOCDに寄り添う事は、スープのそぼろを救うようなものだ。』
 ※ 漢字はあえてです。

 

皆さんも大切な方に使ってみたいと想いませんか?

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain

私はいつも担々麺を食べる時、執拗にそぼろを掬い、かつスープまで飲み干すタイプです。

 

スープが思ったよりも辛くて、飲み干すのがツラい時でも、底にあるそぼろの為に頑張る時が多いです。塩分?高血圧?いや、そぼろの方が大切です。

 

人の良い面も悪い面も全て受け入れて、その人を救うということは、なかなか容易では無いと思います。ただ、大切な人が相手なら、実際できるか否かは別として、まず自分は味方になってあげたいな、とか、全てを受け入れてあげたいな、と思うことがあるかもしれません。

 

その心意気と情熱と執念のようなものを表現する時、このことわざは有用なんじゃないかなと思います。

 

『ヒロさんのASDに寄り添うことは、スープのそぼろを救うようなものだ。』

 

少しでも、飲み干すスープがマイルドで健康的なものになるように祈っています。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

 

ゴミ出せた、ゴミ出せたよ!

f:id:hirozacchi:20190113151640j:plain


f:id:hirozacchi:20190212181828p:plain


先日、久しぶりにゴミ出し(まとめた可燃ゴミを、近くのゴミ捨て場へ持って行くこと)ができました。

普段はずっとヒロさんにお願いしていて、出勤時に持って行ってもらっています。

 

前回と似たような状況でのトライでしたが、なんとか無事にできました。

(今回もゴミ捨て場にカラスが居て、少し格闘してきました笑)

 

↓  前回トライした時の話はコチラ  ↓

 

ゴミ出し後、二人で少し遠い所へお出かけしたのですが、今回はゴミ出し(汚染恐怖)による疲労も無く、1日無事に過ごせました。

 

私は、ゴミ出しが無事にできたことが、そして、その後の予定も計画通りにこなせたことが、とても嬉しかったので、

 

「あぁ、ゴミ出しできたなぁ…( ´∀`)」

 

と、その日何度も『思い出し満足』していました。

 

そのうちの数回は、実際に声を出して言ってしまったので、ヒロさんに「まだ言ってるのか(笑)」と笑われてしまいました。

 

でも、ヒロさんも嬉しそうにしてくれていたので、私も飽きずに何度も反芻しました。

 

 

ヒロさんは、私のOCD事情が目に見える形で改善すると、とても喜んでくれます。

「頑張ったなぁ」と笑顔で迎えてくれると、私も『次も頑張ろう』と力が湧いてきます。

 

日々生活していく上で当たり前のことでも、OCDの私にとっては、とても辛いことがあります。

他の人から「できるのが当たり前だしなぁ…」などと言われる時もあるのですが、そんな時は、自分の辛い気持ちや頑張りが無かったことにされた感じがして、少しショボンとなってしまいます。

自分も心のどこかでは、当たり前のことが少しできたくらいで喜んで良いのだろうか…と思う気持ちがあるので、過去にはヒロさんに『できた』アピールをしていない時期もありました。

 

OCDの症状に巻き込まれている周囲の人たちにとっては、例え『できた』アピールをされても、「そんな些細な改善で満足しないでくれよ、こっちはもっと辛いんだぞ」と思う時があるかもしれません。

実際、私にとっての大きな前進が、ヒロさんからは、症状が停滞、もしくは悪化しているように思える時があるそうです。そんな時の私は、迷惑をかけてしまっている自分の行為に絶望し、自己肯定感が下がってしまうので、なかなか良いサイクルに持っていけない場合があります。

 

私たちの場合、私が改善に向け取り組んでいる項目と『できた』報告を、ヒロさんに随時細かく伝えることで、上記のようなトラブルは減りました。小さな直近の目標と、長期的な計画を明文化することで、一歩一歩前に進んでいる感じが伝わりやすくなるようです。

先が見えない状況は、周囲で支える側にとっても、とても不安だと思います。

強迫観念に囚われていると、周囲の状況に気遣う余裕が無いことが多いですが、効率の良い改善を目指すなら、OCDの症状についてだけではなく、支えてくれている人たちとの良好な関係を維持することにも注力すると良いのかもしれません。

 

私は褒められて伸びるタイプなので(笑)、どんどん褒めてもらえるような環境を整えられたら良いなと思うのです(←構ってちゃんっぽくて、なんか嫌な感じですが…)

 

今回のゴミ捨ては、無事に成功体験となったので、次回も頑張りたいと思います。

 

f:id:hirozacchi:20190116100419p:plain

f:id:hirozacchi:20190212181802p:plain

 

ザッチはゴミを出すという行為がとても辛いと言います。

それはザッチが抱えるOCDの症状が全てそこに凝縮されているからなのだと思います。

(注意)
下記内容はヒロが想像するザッチの大変さです。
実際はもっと大変かもしれないし、種類が違うかもしれません。

 

ゴミですから当然汚い物も含まれていると思います。

その為、汚い物に触れるという汚染恐怖があるのだと思います。

ザッチは大事な物を失うのではないか?という、紛失恐怖があります。

捨てるという行為そのものが、所有物を失う行為ですから、その大変さは他の事とは比べ物にならないのでしょう。

そして、情報漏洩恐怖もあります。

万が一ゴミの中に自分の個人情報があったら困るという事で、色々な紙をシュレッダーにかけています。

そして、これらの恐怖の副産物により、確認強迫が発動します。

汚い物に触らなかったか?大事な物は紛れていなかったか?個人情報は無かったか?

何度も何度も確認します。

 

OCDの事を知らない人が「ゴミ出せたよ!」と言われたら、不思議な顔をするだろうと思います。ヒロもOCDを知らなければそうだったと思います。

しかし、これだけ大変な行為を行えたのです。

 

ヒロは他人の心を『何となく』察する事がとても苦手です。

苦手というよりできないと言った方が正しいかもしれません。

しかし、論理的に理解する事はできます。

だからこそ、ザッチの大変さを論理的に理解する為に上記のようにまとめて書かせてもらいました。

そして、それができた事の素晴らしさをきちんと理解したいのです。

 

ザッチのOCDの症状はまだまだ根深いと思います。

それでも、出会った頃に比べたら物凄い速度で良くなっています。

たかが『ゴミ出し』ですが、できた事の大きさを理解してあげられたら、ザッチはもっともっと良くなるのだと思います。

 

世のOCD患者を支える方々に、大きな包容力と理解力がある事を願って、この記事を締めくくらせていただきます。

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain

↓ 『この紋所が目に入らぬかー!』ってやると良いかもしれない笑。

北海道環境バイオセクター 魔法のステッカーSARABAカラスくん 2枚入り

北海道環境バイオセクター 魔法のステッカーSARABAカラスくん 2枚入り

 

f:id:hirozacchi:20190108164118p:plain