恐怖はどこから? その2
前回からの続きです。
私のOCDの症状のひとつに、汚染恐怖があります。
自分の手や衣服が『汚いもの』に触れたら、すぐ洗いたくなります。
洗わずにいると、その汚れが直接的 or 間接的に触れた物にどんどん拡がって、どうしようもない状態になってしまうという感覚があります。
みなさんは、『汚いもの』といえば何を想像しますか?
排泄物、ゴミ、油汚れ、泥、等々。
もちろん私も一般的に汚いとされているものは苦手です。でも、それ以外に苦手なものがあります。
それは『私が苦手なタイプの人間』です。
例えば、犬の散歩シーン。
嫌がる犬を力強くで引っ張るオジサン。
犬、道端でフンをする。
オジサン、フンを見て見ぬふり。
私が脳内で、" このオジサン苦手だなー " と思うと仮定します。
このような状況では、私の中の『汚いレベル』は以下のようになります。
オジサン >>> 地面 >>> 犬のフン > 犬
すなわち、もし何かしらの理由でオジサンに握手を求められた場合、『犬のフンを素手で持つ方がよっぽど良い』というのが心の声になります。
そんな心の声を実際の声として発することは決してありませんし、必要があれば私は笑顔で握手もする訳ですが、その後、どこかで手を洗うまでは自分の物には触れられない、という困ったことが起こるのです。
さらに、『本来なら笑顔で握手せずに、オジサンの行為を注意するべきなのでは?』とか『本当は握手なんてしたくなかったのに、なんで私は笑顔まで作ってしまったのだろう』とか『オジサンめっちゃニヤニヤしてたなぁ』という思考にハマると、そこから強迫観念が怒涛の勢いでやってきて、手を何回も洗ってしまう事態に陥ります。
逆に、犬のフンの場合、「犬は純粋無垢で罪は無い」と思えたら、フレッシュな物であれば、素手で持つことに対しても、あまり抵抗はありません。もちろんその後は手を洗いたいと思いますが、過剰な手洗いはしないでしょう。
この理屈が派生して、不特定多数の人が触るような、電車のつり革やお金などが私は苦手です。それらに自分の手や衣服が触れた場合、過剰な手洗いや消毒、洗濯が必須となってしまいます。
細菌・ウイルス学的に清潔を保ちたい、という意味合いもありますが、邪念を振り払う儀式のようになっている場合もあります。過剰な殺菌消毒は、皮膚に必要な常在細菌までも死滅させてしまう、逆に不健康になってしまうかも…という意識はあるのですが、なかなか止めることができずにいます。
このような症状を改善するには、私の場合、『人間不信を治す』ことが有効なのではないかと考えています。全ての存在を、上記の『犬』のようなフラットな位置にまで持っていくことができれば、自然と症状が治まる気がします。
人間たちの中で、人として生きる。
この当たり前のことが、私の場合、難しかったのかもしれません。
他人と適度な距離を保ち、過信せず、依存し過ぎずに、優しさをもって、誠実に。
そのバランスを崩してしまい、結果、OCDとして問題が表面化したのかもしれません。
OCDになって以降、多くの方々の優しさに触れることができました。
今まで仕事が忙しいからと蔑ろにしていた旧友との付き合いも再開し、有難く素晴らしいものだと気付くことができました。
ブログを始め、世の中には素敵な人がたくさん居るんだなぁと痛感しました。
温かさに触れ、癒されることが増えました。
おかげさまで、私のOCDの症状は、だんだん快方へ向かっています。
まだまだ残っている症状は、きっとまだ私自身気付けていない根深い問題の表れなのかもしれません。
もう少し自分の声に耳を傾けて、より良い方向へ行けたら良いなと思っています。
とりとめのない文章をここまで読んでくださって、ありがとうございます。
いつも支えてくださっている皆様にも、幸せなひとときが訪れますよう願っています。