OCDを克服したいと強く思うとき
OCDの症状のせいで日常から色々と不便な事が多いのですが、私は普段、"OCDと共存していく"というスタンスで治療に励んでいます。しかし、時々「OCDを克服したいな」と強く思う時があります。今回はその一例をご紹介したいと思います。
まずはOCDを発症していない昔の話からさせて下さい。
阪神淡路大震災から、今日で24年になります。
当時私はまだ小学生でしたが、その時の記憶は今でも鮮明に残っています。
私の実家は震源からは少し距離があったので、実生活に重大な影響がある程では無かったのですが、お皿が割れたり小学校が休校になったりする程度の揺れはありました。
早朝、地震が起こった時、私は自室で一人で寝ていました。目が覚めた瞬間は何が起こったのかよく分かりませんでしたが、家がミシミシと音を立てた後、ドンっと大きな揺れがきて、ただごとではないと気づきました。机の棚から本が落ちてくるし、壁に掛けてあるパズルが落ちてくるし、ただただ怖くて、布団をギュッと握りしめたままフリーズしてしまいました。
その時、まだまだ本震の揺れが治まらない中、隣の部屋に居た母が私の部屋に飛び込んできて、私の上に覆い被さってくれました。布団を私の頭に被せて、怪我はないかと確認してくれました。
私は母のとっさの行動が素早過ぎて驚いたり、母も布団の中に入れてあげないと危ないと思って心配したり、地震の揺れはいつ終わるんだと嘆いたり、色んな感情が混ざり合う中で、ただただジッとするしかありませんでした。
その時の経験を、毎年この時期にテレビで震災関連のニュースを見る度に思い出します。
母の強さと愛情に感謝し、私もいつかそうなりたいと思うキッカケとなった、忘れられない出来事です。
話を最近に戻します。
昨年の6月、大阪北部地震がありました。
私はその日の朝、ヒロさんが仕事に出かけるための準備をしているところを、OCD的絶対清潔領域(聖域)であるベッドの上から見守っていました。「水筒持った?ハンカチ持った?」と朝のルーチンの会話をこなしていました。その時、地震が起こりました。今回もそこまで震源に近くはなかったものの、棚の上に置いていた不安定な物が落ちたりする程度の揺れはありました。
地震の揺れが始まった時、ヒロさんは咄嗟に私を守ってくれようとしました(と私が思うような動きをしました)。が、その時のヒロさんは既に外着であるスーツに着替えてしまっていて、私としては触れて欲しくない格好でした。私はそんなヒロさんをスルーして、近くの倒れそうな家具を支えて貰うようにお願いしました。ヒロさんは黙って私の指示に従ってくれました。
結果的に揺れはそこまで酷くはなく、私たちは無事で、ヒロさんは私の安全を見届けてから仕事へ向かいました。余震があるといけないからと、私にいつでも外に出られる格好に着替えておくようにと注意してくれました。私はヒロさんのことを何一つ守ってあげられませんでした。
私はこの事がかなりショックでした。OCDを発症して数年になりますが、こんな緊急事態の時にも強迫観念が襲ってくるほど、私の日常生活に根深く巣くっているのです。今回はたまたま二人とも無事でしたが、今後、咄嗟の判断が求められる時や一瞬の判断が生死を分ける時が来るかもしれません。その時に、きちんと後悔しない行動が取れるかどうか…今の私には自信がありません。
守る側、守られる側、色々な状況や立場でそれぞれに求められる行動は様々だと思います。私はいざという時に、少しでも自分らしい行動が取れるように、前もって考えておく必要があると思いました。
今のところの対策としては、個人的には次のような事ができればと考えています。
- 緊急時には、聖域ルールを破れるようにシュミレーションをする。
- 普段OCDの症状でヒロさんを巻き込んでいるので、どういう場合にそのルールを破って貰って構わないか話し合って明文化する。(私がOCD的な発作を起こさないレベルをきちんと伝える)
- いつでも家の外に出られるように、少なくとも衣服などの問題は改善しておく。
本当はもっと色々やらなければいけない事はあると思いますが、とりあえずこれくらいを直近の目標にしたいと思います。
OCDの方もそうでない方も、今日という日を、緊急時に備えてどうすべきか、今一度よく考えていただくきっかけにしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致しますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。