言語と映像に対する思考
ヒロは友達がいないので、ザッチと出会うまではプライベートは独りで過ごしていました。
その為、仕事以外で言語に触れる機会が少なく、あまり思考を働かせる事がありませんでした。
ザッチと出会ってから、実に多くの言葉を交わしました。
今でもそれは尽きる事がありません。
最近はブログを書いていて、皆さんのブログを読むようになり、更に皆さんからのコメントなどの反応にも触れるようになりました。
そして、それらの言語に触れる事で更なる思考が働き、ヒロの言葉が生まれてきます。
この事からも、ヒロは言語優位なのだと感じます。
独りでいる時にも、街を歩けば当然、視覚的刺激や聴覚的刺激や嗅覚的刺激を受けるはずなのに、感覚的な表現があまりうまく出てきません。
「なんか眩しい。」「なんか五月蠅い。」「なんか臭い。」
この程度の言葉しか生まれないのです。
もしかしたら、直接的な表現を好むあまり、事実以外の言葉が生まれにくいのかもしれません。
ヒロが小説好きである理由も、恐らく視覚情報より言語情報の方が鮮明に脳に入ってくる事が原因なのかもしれません。
その為、ザッチと一緒に色々とお出かけした時も、ヒロは感想が月並みになってしまいます。
例えば、お花見に出かけた際は、
「桜綺麗だね。」「凄いね。」
等々、見なくても言えるような感想ばかりになってしまいます。
それより、花見は元々桜じゃなかったとか、桜は一年中どこかで咲いているとか、花見中に興ざめするような情報ばかり思い浮かびます。
これを言うと『ウンチクたれ』と言われるので控えていますが、世のウンチクはいつも楽しく聞いています。
ザッチは映像(視覚)優位なはずなのに、たまに出てしまうヒロのウンチクについても楽しく付き合ってくれるので、とても感謝しています。
私も雑学は好きなので、ヒロさんのウンチクは毎回とても楽しく聞いています。
ただ、私は文字情報を脳に取り入れるのが得意ではないので、新聞や小説など、紙面全面が文字で構成されているのものは特に、今までほぼ読まずに過ごしてきてしまいました。
なので、思わぬところで常識の抜けがあったり、ヒロさんの知識にどうしても敵わない所があります。
私の知らない色々な事を教えてくれるヒロさんには、とても感謝しています。
↓ 「サツマイモ」は英語で「スイートポテト」という事を知らなかった話 ↓
言語情報については、個人的にアウトプットが一番辛いなと感じています。読書感想文や小論文を書くのは、本当に苦手でした。
こんな私ですので、ブログ執筆活動はとても良いトレーニングになっています。
(読みづらい点があれば、是非ご指摘ください)
私は、情報のインプットとそこからの思考は、視覚(映像)優位で処理しているように感じています。
例えば、お花見のシーンでは、
桜の花びらのピンク色って、木によって微妙に違うんだなぁ…とか
枝垂れ桜が立派だなぁ…とか
お花見で人が沢山いるなぁ…
などの視覚的なインプットがあった場合、
お気に入りの和菓子屋の桜餅のピンクとどっちが濃いかなぁ…とか
枝垂れ桜の姿は、藁で編んだミノを被ったお爺ちゃんみたいに見えるなぁ…とか
花火大会の日も同じように人が沢山いたなぁ…
など、視覚的に類似する映像情報の記憶が脳内に再生されます。
ただ、今はこうやって文字として書いていますが、その時の私の脳内ではあくまで映像情報しか再生されていないので、言語化が苦手な私は、
「桜餅食べたいなぁ…」とか
「みてみて!アレ、お爺ちゃんみたい!」とか
「花火の日みたいやなぁ」
と言ってしまいます。
「ねぇねぇ、アレ、〇〇みたい!」というフレーズは、特によく発している自覚があります。
ただ、言われた側としては、私の脳内イメージまで共有している訳ではないので、しばしば、
「は?何の関係があるの?」
となってしまうようです。
説明不足な私が悪いのですが、ヒロさんのことも、それで困らせてしまうことが多いです。
なかなか思考のクセ自体を変えることは難しいですが、私も思考内容をきちんと脳内で言語化してから、落ち着いて言葉を発していきたいなと思います。
お互いの認知特性の違いを理解すると、コミュニケーションの齟齬もだんだん少なると期待しています。