人間関係の中での個性について
アスペルガーに限らず、人間関係の問題については、1人では気付く事はできないと思います。
もし世界に1人だけなら、比較対象がいないからです。
もし世界に2人だけなら、個人の問題というよりお互いの個性として受け止めるのではないかと思います。
今現代でこれだけ精神病が名づけられている事には理由があると思います。
それは、グローバル化により接触する人間の範囲が劇的に広がったからだと思います。数少ない集団で生活するだけなら、自他の違いについて病的に気にすることは無かったのではないかと思います。
しかし、数千、数万という集団で浮き上がる特性はやはり病的に映る物です。
本来同じ考え方の人なんて1人もいないというのに、です。。。
グローバル化は、様々なことに対して様々な影響をもたらしました。
精神的な問題だけでなく、他者と比較することで生まれてくる問題の多くは、未だその変化の途中にあると思います。そしてその変化が、結果的に良かったのか悪かったのかも、個々の事例によるでしょう。
ひとりの人間の発達(成長)において、自他の区別をつけて、それぞれの世界を想像・認識できるようになることは、とても大切なことだと私は考えています。思いやりの心を育んだり、自分の得意不得意を知ることなど、他人を知る事で多くの可能性が広がると思います。
小さな子どもが、親戚やご近所のコミュニティに接して『人見知り』するのと同じく、人間社会においても、グローバル化に伴って、自分と同類ではない人に対して『人見知り』する時期を迎えているのではないかと感じています。
そして、親戚のおじさんに人見知りして、怖がったり閉じこもったりするように、人間社会を構成している個々の人々の多くも、それまで知りえなかった環境や情報に不安になったりするのではないでしょうか。子どもが親の裾に隠れて安心を得るように、不安になった人々は自分と同じ意識をもつ集合体の同質性の確認をして、安心を得ようとしているのだと感じます。
そう考えると、自分と異質なものを敏感に感じて、批判したり遠ざけたりしたい…という欲求は、ある意味自然なことなのかもしれません。
個人の成長と同様、十分に社会が発達してきたら、多様性をきちんと認められるようになって、十人十色、千差万別を当たり前とする世の中になるのかなと思います。
多様性こそ、生き物にとっての財産です。
多様性が無い生き物には、将来性がないと感じます。
マイノリティに対して厳しいのは、まだ社会が未熟なだけで、だんだんと変わっていくものだと信じています。
人見知りの時期を乗り越えて、好奇心を持った子どもが色んなことにチャレンジしてトライ&エラーで学習するように、いつしか不器用なりにも、他人を認め合うことができるような世の中になることを期待しています。
いつか、自他の違いを多様性として受け入れられる世の中が来るといいね。